孤独を愛そうpart2
気になるHPを発見しました。
孤独・孤立対策|内閣官房ホームページ (cas.go.jp)
孤独・孤立対策担当大臣もいるようです。
ボクは以前、「セミリタイアライフ 孤独を愛そう」というエントリを書いていたので、ちょっくら覗いてみました。
孤独の捉え方がまったく違う方向でした。
政府のベクトルは、意図しない孤独・孤立はこれを解消しようというもの。
ボクの意見は、本当の孤独ではないけど孤独までも楽しんじゃえ。。です。
なにか、ボクがいかに能天気な人間かが浮き彫りにされてしまいました。
そうです。ボクの孤独は困っている人から見ればどうでもいい孤独です。
ボクは、本当の孤独・孤立の怖さをまったく解っていないのです。
孤独・孤立は状況のことを指します。
そしてその状況は捉え方によって、主観的であったり客観的であったりします。
さらに、当事者は主観的である状況を、悲観的に捉えたり楽観的に捉えたりするでしょう。
その上で、支援が必要な人に適切な支援を届けなければなりません。
逆に、支援を望まない人は、客観的に厳しい状況であっても孤独や孤立を有意義に感じている可能性があります。
テレビ番組の「ぽつんと一軒家」などを見ていると、その人なりに生活を楽しんでいるように見えます。実際はどうか分かりませんが。
国の政策として孤独・孤立対策をするのは基本的に賛成です。
困っている人を一人でも多く支援できることは全体の豊かさに繋がります。
だけど、状況に対応しようとするエネルギーは摘み取るべきではありません。
それらのエネルギーは生きることそのものだからです。
たとえそれが不幸を深める結果になろうとも、です。
単に自己責任論と思われるかもしれませんが、ボクは自由に生きるほうを選びます。
もちろん支援を望めばそれが叶う社会はありがたいです。
もっと躊躇なく支援が受けられるように考えてくれている。
その点では、日本は素晴らしい国です。
ボクは介護保険のデイサービスを運営しています。
支援や介護が必要な人々の為に仕事をしています。
サービスの供給が充足してきた昨今、おせっかいではないか?という場面も増えてきました。本人が望まないのにサービスを使わされる。
ケアマネやサービス事業者が躍起になって支援をしようとする。
家族の介護負担軽減と言った目的があればまだいいですが、心配だからとか長生きしてほしいからなど本人の意思より周りの思惑が優先されがちです。
ボクも事業者だから、これでいいのかな?と思いつつも、本人をなだめて説得してサービスを提供します。
そして少しづつ生きるエネルギーは削り取られていくのです。
自分よりも家族や周りの人たちのために管理された生活をおくることになります。
孤独を愛するためにはある程度の精神的な余裕が必要でしょう。
孤独を愛することは自分を愛することに似ています。
孤独でいれば、堂々と自己中でいいのです。
人と関わらなければ、自分の欲するままに生きられるのです。
もちろん危険で苦しい生き方です。