セミリタイア small life

還暦オーバー!今日もチャレンジ!

医療に求めるもの

 

Jリーグが再開してゲーム前に医療従事者への感謝の拍手というセレモニーを行っているのを見た。気持ちを実際の態度で表すのは大変結構なことだと思いましたが、肝心の医療従事者はどの様な気持ちであのセレモニーを見たんだろうか?感謝よりも感染の可能性を少しでも減らすために再開を延期して欲しいと思わなかっただろうか?新型コロナウイルスは、思っていたよりも手強いウイルスだ。これからもボクらを翻弄し続けるだろう。

医療体制に余裕がなくなれば、また非常事態宣言が発出されるはずだ。重篤化しやすい高齢者は不安に駆られるだろう。命の危険があるのだから。エクモという医療機器はそれを扱える技術者が少なく、年齢によってトリアージされる

基本的には健康は個人が守るものだ。国家や政府や病院が守るものではない。全てを国や政府や病院にお願いするのでなく、自分が自分の健康を守るために医療制度を利用するのだ。自分が選択した手段が上手くいかなかった時に自分以外の誰かを訴えるのは納得がいかない。人間だからミスはある。例えば針に糸を通す時どんなに慣れた人でも100回に1回くらいは失敗するはず。

だからよっぽど酷いミス以外は医療に責任はないのではないかとずっと思っていた。日本では医療を受ける権利はあっても、その医療の効果は保証されている訳ではない。良い悪いの問題ではなく、結果を作った要因は数多くある。医療はその中の一つに過ぎない。治療の難易度はさまざまだけど、難しい治療だからと言ってチャレンジしない医者は少ない。成功率が低くなってもチャレンジするのだ。しかし低くなった成功率のために不幸にもうまくいかなかった時に訴えられたりすると、医者はチャレンジすることすら難しくなる。なるべく医療に責任を求めないでください。

医療に対するリスペクトはそんな心の在り方にもあるとボクは思います。

 

一生安泰な生活

政治に関心がない訳ではありませんが、政治的意見を話すのは限られた場所にしています。それだけ言葉で伝えるのは難しく誤解を招く可能性があるからです。しかし今回の都知事戦は興味深いと思っています。ホリエモンの人間の底が見えたこともありますし、再選の為にコロナ対策を行わない小池さんにも失望しました。誰も自分のことで精一杯で政治で世の中を良くしようと思っている人間はほぼいないといっていいでしょう。要するに、自分の生活も人生設計も政治に頼らないで生きて行くしかないのだと確認しました。個人に生きる力が必要な時代です。大きな組織の中にいれば一生安泰というのは高度成長期だからこそ機能したマボロシに過ぎないのです。強力な指導者のもとにいれば夢が見られるなんて、なんだか情けないと思いませんか?

以前、40才定年説という荒唐無稽な話をしました。だけど単に奇をてらった話ではありません。こんな世の中だからこそ個人が強くなければならないのです。組織で学ぶのは40才まで、それからは独立し、それこそ70才でも80才でも働ける能力スキルを身につけることが寿命一杯を楽しめる重要な要素だと思います。自分で会社を作るからこそ充実した仕事ができるし、老後のお金など気にすることなく生活できるのです。飽きたら会社を売ることもできます。そのお金でまた新しい事業を始めてもよし、リタイアの自由もある。体が動かなくなっても若い人に活躍してもらえる環境を作ることでジジイ、ババアになっても存在感を発揮できるというものです。たった一度の人生だからこそギャンブルと言われても勝負をする方が充実感があるのではないでしょうか?40才を区切りとして余裕のある人生設計を構築するのは妙案にはなると思っています。

一生安泰な生活なんてクソ食らえです。自分から望んで誰かの飼い犬になるのならそれは手に入るかも知れません。そんなのはたった一度の人生をドブに捨てるようなものです。幸い日本は社会保障が整っています。事業でどんなに失敗したって殺されることはありません。少しだけ安心できる生活を捨てる勇気が必要なだけです。捨てれば新しい生活ができるでしょう。それが楽な生活なのか苦しい生活なのかはわかりませんが、新しい発見に満ちた生活であることは間違い無いでしょう。それだけでも十分価値はありそうです。

明日、経営会議を開くことにしています。ちょっとしたアイデアをプレゼンして、今よりも更に権限を移譲して身軽になりたいと思います。

 

視力という能力

特定健診に行ってきました。

γGTP↑・脂肪肝・血糖↑・尿たんぱく↑・心電図異常・メタボsyn。まあ、そんなものです。特に驚きません。去年も同じような状況だった。問題は視力。1.0と0.9でした。どっちがどっちなんてどうでも良い。すごく悪化している。学生時代は両眼2.0だったのに。

父親は教育熱心だったけど、眼が悪くなるくらいだったら勉強なんてするなという人だった。そんな免罪符があったからこそ勉強などほとんどせずにFラン大学に入学することができた(笑)おかげでそこそこの苦労はさせて頂きました。大卒初任給は128000円で手取りが98000円だったなあ。自分のことながら衝撃を受けたことを覚えている。そこそこの苦労が始まった齢だ。でも眼だけは良くてずっと2.0をキープしていた。視力が良いことで生じる社会生活への恩恵はまったくゼロでしたが。

眼が悪くなって感じるのはメガネがメンドクサイのと物の把握が大雑把になることだ。メガネは首に下げても頭に乗っけても持ち歩くには超メンドクサイ。ズボンの尻ポケットに仕舞うことができたらどんなに楽だろう。眼が悪いと細かい形や色合いがぼやけてしまうので、もう物事をきっちり捉えようとはしなくなる。全体を大まかにしか受けとめない。少しずつルーズになっていくようだ。時々靴下が左右合っていない。同じ色ならいいやとなる。髪型もそう。小さな寝癖は見えなくなった。ボクにとって一番面白くないのは人間や人間以外の小さな表情を見逃してしまうことだ。例えばサッカーの試合で、ピッチの中の選手の表情が見えない。怒っているのか冷静なのか、選手同士でどんなコミュニケーションをとっているのかほとんど分からなくなった。視力2.0の時は笑顔や唇の動きだって捉えることができた。臨場感が半分になった。また、散歩しているときに出会う野花や動物が平坦に見える。小鳥の種類も判別できない。楽しみが減ってしまって最低だ。

NHKスペシャルで生命の起源的な番組のなかで見たんだけど、動物が進化を早めたのは視力の発達にあるらしい。脳と視神経は密接に絡み合いながら進化していったというのだ。眼から入る情報は膨大で人生に与える影響も計り知れない。父親の言葉は正しかった。眼が悪くなるくらいなら勉強なんてしないぞ。そして出来る限りの感動をこの眼に焼き付けてやろうと思う。

だからブログは1日1時間までです。

f:id:comoshin:20200702171044p:image

老いたウエルテルの悩み

老いは残酷である。

朽ちていく生命を客観的に眺める立場にいたものが、自分事として老いを体験することになった。当然で自然なことである。自分もいつか動けなくなって死ぬ。それが徐々に進行するか突然終わるかはわからない。ただ、刻一刻と死に向かって進んでいることは間違いない。そんなに悲観はしていない。だって誰にでも訪れるイベントだから。その時が来たら「ああ、面白かったな」とつぶやいて目を閉じればいい。まあこんなこと言っていいても間際で生にしがみつくかも知れない。それはその時次第だ。残酷なのは今も少しずつ老いが進行していることだ。

身体の衰えはまだ納得できる。30代から少しずつ低下してきた経験がある。対処方法も知っている。だけど、精神と神経(特に脳)機能の低下はつらい。自分の変化に納得がいかないからだ。作業が遅くなる。モチベーションを上げられない。興味が薄れる。記憶を保持するのが難しい。思い通りに身体を動かせない(神経の伝達速度が低下する)。すぐに疲れる。他多数。

良いこともある。プレッシャーがなくなる。統合思考ができる。がむしゃらに働いていた若い頃には憧れた余裕のある時間は増える。欲が無くなる。・・・・それって良いことなのか?

入社1年目の新入社員と30年目の専務取締役とでは生産性は圧倒的に専務が上だが作業効率は新入社員に軍配が上がる。手と脳が速く動かないからだ。さらに膨大な経験があるために判断の選択肢が10倍ほど多い。よってはたから見ればぼんやりしている時が増えるってこと。働かないジジイにしか見えない。齢を取った本人にしてみれば、結構まじめにタスクをこなしているのだ。

まだ60歳なのに最近車の運転に自信が持てなくなっている。安全確認だけで疲労する。道を間違えたり目的地を通り過ごしたりする。ドライブレンジにギアを入れたままサイドブレーキをかけて車から離れようとしたり、逆にサイドブレーキをかけたまま発進したり。情けないというより少し怖い。そんなミスは今までになかったことだ。たった1時間の運転でクタクタだ。

ボクにとって老いは現在進行中の大イベントだ。若きウエルテルも悩むだろうが、年老いたウエルテルもまた同様に悩む。ステージは違うが同じ道のりの中のイベントだ。勇気をもってステージの扉を開けることにする。

f:id:comoshin:20200630110130p:image

 

ゴルフという病

f:id:comoshin:20200326181437j:plain
日曜日にゴルフに出かけた。スコアは107だった。その晩、悔しくて何回か目が覚めた。夢の中でフォームの修正をしているのです。そして夢の中でも上手くいかずに目が覚める。ベッドから這い出てティーショットのフォームを確認する。2度3度繰り返してまた眠りにつく。妻が呆れた視線を送るが無視である。

実は107は特別に悪いスコアではない。調子が悪ければ当たり前に叩く回数だ。その前のゴルフは94だった。そんなもんである。悔しがるほどの腕前ではない、そこら辺のボンクラゴルファーなのだ。だけどボンクラだろうとド素人だろうと、自分に納得がいかない。それがゴルファーという病なのである。納得がいかない心境の裏側には、自分は出来るはずだといううぬぼれに近い思い込みがある。芝生の上にある動かないボールを効率の良い道具を使って叩くだけの簡単なスポーツ。頭の奥底でそんなことを考えているのかも知れない。結局、ラウンド中にそれが間違いであることを思い知らされる。それも徹底的に。なんと複雑なスポーツだろう。

別に遊びなのだから楽しく過ごせばいいではないかと時々家族の者から忠告を受ける。楽しくないわけではない。むしろ楽しい。でも楽しく見えないらしい。勝ち負けではなく自分と対話し自分と闘うのがゴルフである。スポーツをする喜びの中に技術が向上する嬉しさがある。ゴルフはまさにこのスキルアップが楽しいスポーツである。逆にスキルダウンした時の苦悩は仕事で後輩に追い抜かれた時のように辛い。それだけは避けたい。だから努力する。がむしゃらに努力する。

最近、練習場で飛距離が200yに届かない。普通にスイングすれば200yは可能なはずである。遠心力を使ってフェースの真ん中あたりに当てるだけで間違いなく200y飛ぶように設計されている。届かないという事は普通じゃなのだろう。無駄な力みやギクシャクとした体の捻転が飛距離を落としている。いわば引き算をしているかのようだ。努力が目標への阻害要因になっているのである。そもそも無理に200yが必要なわけでもない。150yを2回打てば300yになり、比較的長いホールでも430y程度だから残り130y。ヘボゴルファーには60yのコントロールショットとグリップを少し余した8番アイアンでグリーン中央狙いは難易度的にそんなに変わらない。しかしそれでは自分が納得しない。220y地点から180yを打って残り30yをピンに絡めるという上級者のルートでないと納得しない。刻みに刻んでスコアが自己新の89が出てもまったく楽しくない。それがゴルフという病なのである。

なんとか普通の、当たり前のスウィングをしたいと思い、その滑らかな動きを常にイメージする。ボクみたいにジジイであればお手本は岡本綾子だ。幾度となく頭の中で彼女のスウィングをリプレイし、たまたま手に持っている雨傘で再現したりする。愚かである。キョロキョロと周囲の状況を確認した後、一瞬で集中ゾーンに入る。目の前にあるのは駅のプラットホームでも薄暗い駐車場でもない。さわやかに晴れわたった1番ホールのティグラウンドなのだ。その時、ドーパミンはいかんなく放出され脈拍はおおいに上がりついグリップに力が入る。これではいけないと一旦アドレスを解く。完全なバカである。でも、ボクが悪いわけではない。すべてゴルフという病の症状にすぎないのだから。

ゴルフの練習をしながらセイヤのことを考えた

人間は悲しい生き物です。男もすべからく悲しく切なく生きています。

今朝、セイヤのニュースを知りました。バカだなぁと思いながら切ないなぁと感じています。全ての男がそうであるかどうかボクにはわかる筈もありませんが、多くの若い男子は性欲に支配されているといっても過言ではありません。はい、女性には分からないと思います。隙あればイタシたいと考えるのが健康な男子なのです。女性の読者様には不快な事実であると分かっておりますが、どうにもなりません。ただ、ほとんどの男性は理性の力で本能をねじ伏せ性欲などこれっぽっちも感じていないフリをしています。理性の力は偉大です。

背が高くて頭が良くて顔が爽やかなイケメンはまだ救われます。彼のリヒドーを受けとめてくれる優しい女神が現れるからです。とても自然なことです。行為は愛という美しい営みになるからです。尾崎豊が「軋むベッドの上で優しさを持ち寄り・・・」と歌っていますがそれはそう思わせたいからです。若い頃のそれは奪い合いです。一度奪い合ってからお返しをしていくというのが正解です。はい、申し訳ありません。女性の読者様にはご迷惑をおかけしております。本当に不快を感じる人はここまで読まずに離脱していますよね。いつでも直ぐに離脱できるのですから。もし、これが双方向性コミュニケーションツールのZoomであったら、途中で意思を表すことだって出来ます。「やめて下さい!」と。ボタンを押せば見なくて良いのです。わざわざ証拠の写真まで保存するのは何故でしょうか?

 

事実がどうであったかはボクには全くわかりません。なので一方的にセイヤを擁護するのは良くないことかも知れません。だけど背が低くて頭もそんなに良くなく顔がブサイクなセイヤは自らの深い所から湧き出す欲求と戦っていたのだと思います。彼の場合は理性が負けました。誰も受け止めてくれない彼のマグマが理性を押し潰したのでしょう。でも、頑張れ!きっといつか君の女神もあらわれる。ボクはそう信じているから。

ゴルフの打ちっ放し練習場で50球だけ叩いてきました。セイヤの気持ちを考えると切なくてボールを打つ時に掛け声をかけてしまいました。セイヤー!

f:id:comoshin:20200619191221p:image

 

 

妻への説得失敗<社長引退までの1500日>

「私は家にじっとしているより、仕事している方がいい」妻は自らの引退を否定した。一週間、説得方法を考えて、満を持して話し合いを行ったが、あえなく空振りを喫した。「ご利用者さんとの交流は楽しく、意味のある時間を過ごすことができる」そう言われると、もうボクが何を言っても言葉が空虚に感じる。わかりました、では時間をかけて問題点を解決していきましょう。

問題点とは妻と社員との人間関係である。昭和のメンタリティを持つ妻にとって上司が部下を指導するのは当たり前で、何度も同じ指摘をうける社員に対して粘り強く指導を重ねることは健全であり正義なのである。時代に合わないと数年前から何度も何度も話してきた。そして少しずつ妻の対応も変化してきた。しかし、残念なことに妻の変化よりも時代の変化の方が速い。努力はしているが時代に追いつくことは難しいように思える。

半月ほど前、妻はある御利用者とトラブルを起こした。ボクが引退を勧めるきっかけになった出来事だ。その後、サービス管理者にも手伝ってもらって状況を確認した。原因は妻の配慮に欠ける発言でもあったことは否めない。しかし実はそれ以前にトラブルになるような伏線が敷かれていた。ある女性社員が妻への不満を当該利用者に吹き込んでいたのだ。御利用者はいつも甲斐甲斐しく介助してくれる女性社員の助けになろうとして妻に対して過剰に反応したようであった。

このような状況を見てくると、もう妻が可哀そうに思えてくる。「楽になったらどうなん?」と声をかけたくなる。君は充分頑張った、そろそろ美味しいランチ巡りでもしたらどうかと思う。だけど妻の表情は暗くない。能天気なのか根っからポジティブなのかそれともメンタルが相当強いのか、ボクには分からない。妻を守る方法はあるのか?そもそも守る必要があるのか?会社はだれが守るのか?結局、結論は出ないまま、妻は仕事に復帰し、見せかけの安寧が横たわる。

f:id:comoshin:20200618191757p:image