セミリタイア small life

還暦オーバー!今日もチャレンジ!

売上は会社の命です

もうすぐお正月がやってきます。人の行き来が活発になります。GoToもやっているのでコロナへの警戒感は薄れ、このままでは感染爆発も予想されます。ボクが経営しているのは介護保険サービス事業です。しっかりした対策が必要です。

社長候補の二人に対策を立案するようにお願いしました。感染者が出ないように赤字も出ないように。二律背反です。もちろん未来のことは誰にも分かりませんから、どんな計画を立てても感染者が出たり赤字になったりする可能性はあります。それでもこの命題に立ち向かわなくてはなりません。

サービスの前提は安全です。提供側は安全を確認しなければサービスを提供できません。しかし、そもそも100%の安全なんて存在しません。どんな堅いサービスでも100%は無理です。そして100%に満たない部分は利用者がそのリスクを負うのです。負いたくなければそのサービスを受けられないのです。例えば食堂でお腹を壊しても食中毒は1人だけだと保健所も集団食中毒と判断してくれません。個人差がありますからね。病院で手術を受けるのにも同意書を書かされます。100%安全な手術は存在しないのだからある程度は患者がリスクを負わなければ、医者も怖くて手術自体ができなくなるでしょう。話がそれましたが、デイサービスもある程度はリスクテイクして利用してもらっています。可能な感染予防策はしっかり採った上で、サービスを実施するのが正義だと考えています。

もう一つの課題が赤字を避ける。会社の土台が売上です。売上がない会社は健全な会社とは言えません。理想や理念は売上があってはじめて追いかけることができます。しかし売上という概念から遠くにいる人たちは、稼ぐことを卑しい行為と思っているようです。特に公務員の方々とか。警察主催の交通安全講話で警察OBの方が「警察が運転免許と道路使用の許可を与えているから、あなた達はそうやって商売ができる」と話されていました。逆だと思います。多くの人が経済活動をして税金を納めているからあなた達の公務の仕事も発生して給料がもらえるのではないでしょうか?公務員以外にもお金がもらえるのが当たり前と思っている人は意外と多いです。仕事をしていれば給料は当たり前。売上という結果や成果がでなくてもボーナスまでは当たり前。世の中はそんなに簡単ではないと思います。ミクロのウイルスが拡散しただけで世界がこれだけ混乱するのです。物事の本質を見誤らない事です。売上がないと会社は存在できません。会社員の仕事はまず売上を確保することです。ブラック労働とかパワハラとかやりがい搾取とか社畜とか、そんなものは売上げを上げればあっという間に無くなります。そして売上を上げる能力があればさっさと転職したり起業してとっとと理想に近づけばいいのです。売上も正義です。

妻とゴルフ(老後計画)

妻をゴルフ場に連れて行った。59歳にしてぶっつけ本番のコースデビューである。理由がある。紛れもない健康対策なのだ。待ったなしで取り組まなければならない。

先日、妻が大腸カメラ検査を行ったことを報告した。結果は△だった。ポリープを切除したのだがそのポリープの先端にわずかな癌細胞の死骸が見つかった。完全治癒しているとの事で大事には至らなかったが、妻はもちろんだがボクも大きなショックを受けた。でも転機にするのには格好の出来事だ。本気で妻の健康を考えよう。ウォーキングは辛そうだけどスポーツだったら楽しく身体を動かせそう。卓球も良いけどゴルフだったらボクと一緒に無理なく楽しめる。妻に提案したら乗り気だったので、急いでシューズとグローブを購入し、ゴルフ場に予約を入れた。

初回の日曜日はハーフだけにした。ゴルフクラブはボクと共用。ほとんど7番アイアンとパターだけなのだが。1ホール平均8打くらいか?後ろの組にも迷惑を掛けずに2時間以内で廻ることができた。上出来である。週末にはクラブセットを買いに行こう。

食事のコントロールと適度な運動。まずこの二つに取り組む。真剣に取り組む。せめてあと20年は元気で居てもらわねば、老後計画は足元から崩れる。

f:id:comoshin:20201118100036j:plain

 

非社会性

反社会性ではなくて非社会性とは何か?wikiでは

非社会的行動(ひしゃかいてきこうどう)とは、自身の社会的な立場から意図せず乖離することで、周囲に悪影響を与えてしまうような行動である。例えば、不登校や極度の引っ込み思案等が該当する。反社会的行動が、意図して既存の社会に悪影響を与えるのと対称的である。

参考文献[編集]

 と記述されています。ボクはすこし空気が読めない処がある。特に偉い人が多く集まる会合などでやらかしてしまうことが多々あるのです。空気を読まない発言をします。周囲に悪影響までは及ぼしていないけど、非社会性があるんだろうなと思います。

据置型ゲーム機のPS5が発売されました。すぐに売り切れ状態で、怒りの矛先が転売ヤーに向かっているそうです。ボクはどうしても転売ヤーが悪いとは思えないのです。努力して商品を仕入れ、販売している正当な商取引ではないかと思います。仕入額は安くありません。1台万円もします。簡単に出せる金額ではありません。もし売れ残れば大きな損をする事になります。それなりのリスクを負って転売活動をしているのです。そもそも商品を自分で製造販売している所以外はほとんど転売で利ザヤを稼いでいます。コンビニで売られている商品はコンビニが安く仕入れて高く売っています。コーヒーとかおでん以外は全部です。なのに転売ヤーだけを非難するのは、いわゆる叩きやすい奴を叩くといういじめの構造です。さらに転売ヤーがいるおかげでお金持ちは苦労せずに商品を手に入れることができます。PS5が10万円でも欲しい人はいるのですから。そんな富裕層から資本の再分配に寄与しているのですから、ある一部では社会のためになっています。品薄になるのはわかっていたのに転売ヤーほど努力せず、結果的に購入できなかった人が悔しさのあまり毒を吐いているようにしか見えません。ソニーも物欲を最大限にするために転売ヤーを上手く利用しているし、本気で転売を防止する気がないに違いありません。転売は社会性がある行為です。

セミリタイアはどうでしょうか?セミリタイアをしている人の中には労働することを止め、生活費を極限まで削って生きている人たちがいます。じいさんだったら当たり前のことです。しかし、まだ若くて健康で十分な労働力があるにも拘らず働かないセミリタイアは自身の社会的な立場から意図せず乖離することで、周囲に悪影響を与えてしまうという非社会性があるように思えます。もちろん悪いことは全くしていません。社会に害になる行動は無いのですが、社会の利益になる行動もまた非常に少なくなります。皆が税金を納めてこの社会は成り立っています。働いて税金を納める努力は社会的に必要です。あくまでも若くて健康で十分な労働力とその能力を持っている場合です。

転売ヤーは努力して労働しているのではないでしょうか?

 

 

 

 

旅に出ます

死ぬまでにやりたい事の一つに「放浪の旅」を挙げていました。

只今、家族を説得中です。妻は落ちました。

のこりは母と娘。

なんとか成りそうです。ただ、「放浪」はハードルが高いので「計画的な旅」となるかも知れません。

行き先はやっぱり「四国八十八ヶ所お遍路旅」にしようと思います。

ボクの家は一応仏教徒ですが、神様仏様を全く信じていません。

苦しい時だけ何やらお願い事をするような、とても不真面目な信者です。いや、信者とは呼べないです。

だから、お遍路はあくまでも副次的なもので、四国一周のついでに折角だから巡礼しようかと思っただけです。弘法大師さんごめんなさい。

 

出発の日は来年のゴールデンウィーク明けの月曜日。

15日間で四国一周して、念のために14日間を自宅で外出自粛しようと考えていますが、その頃にはコロナも収束している事を祈りたい。

移動の手段は原付2種のバイクかワンボックスカー(軽自動車?)のどちらかです。

宿泊は前者ならスーパー銭湯&ビジネスホテル。後者なら車中泊になります。

今の心境はクロスカブ110で走りたい。この機を逃すともう一生出来ない気がします。

1日の移動距離は150km以内。

ヘタレジジイにはちょうど良い距離。疲れたら迷わずホテルに連泊。無理をする理由は1mmもありません。

適当にデイサービスを見学して、会社の経費で落とすこともできます。やりませんよw

f:id:comoshin:20201112090552j:plain 

まずは決意表明です。

 

老人の権利

日本は国民の権利が尊重された先進国ですので、老人の権利もまたしっかりと尊重されています。61歳になるボクは老人なのかまだまだ壮年なのかわかりませんが、そろそろガタがきているポンコツです。しかし今のところボクの権利が侵害されてる気配はありません。

体力も知力も判断力も運動能力も低下してくれば、いよいよ権利がはく奪され始めます。いえいえ国家や自治体からではなくて家族や近隣住民からの圧力です。今まで多くのそんな高齢者の生活を見てきました。それまで散々親の車に乗せてもらって部活や塾や時には家族で行楽にと、運転手としてこき使ってきたのに少し危なっかしくなったという理由で運転免許を返納せよとの子供からの通告を受けます。それじゃあ子供たちが高齢になった親の運転手をするのかと言えば忙しいから出来ないと言う。仕方なく腰の曲がった身体に鞭打って、近くのスーパーまで歩いて買い物です。白菜など重い野菜を持つことになる帰り道はつらいです。台所のコンロはすべてIHにしなさいと改装費用を出すこともなく注文をつける。たしかに2度3度とナベを焦がしたりしたかも知れない。お隣さんが火事になるのを怖がっているのも知っている。もう中華鍋でチンジャオロースは作れない。

コロナ禍の中で特別養護老人ホームに入所するということは刑務所に入るのと大きく違いません。集団感染防止の観点から面会は遮断され、密にならないように施設内の交流にも制限が設定され、冬が来るというのに強制的に換気が行われます。外出なんてもってのほか、個人の意見は笑顔の施設長に握りつぶされます。自宅がどんな状況になっているのか全くわかりません。庭の草むしりは出来ているのか?月に1度でも部屋に風を通しているのか?人生をかけてやっとの思いで築いた小さな城は、今はもう家族のお荷物になっているのか?あんまりだ。俺の人生は何だったのか?

ボクの事ではありません。しかし多くのこのような高齢者を見てきました。ボクの身に降りかかっても何ら不思議ではありません。そしてあなたにも。

死についての疑問<ある妄想>

ほとんどの人は死ぬ準備が出来ていません。必ず死ぬというのに。生物として生きながらえようとする本能はあって然るべきです。たぶん僕もその時が来れば1秒でも生きながら得ようとするでしょう。死ぬのは怖いですから。しかし、死ぬ事はもう決まっているのだから、より良い死を迎えるために今できる範囲で準備するのは大人だったら当然の作業と思うのです。先月も120歳になる女性のカウンセリングは苦労しました。もう寝たきりで耳や目も衰えて癌やら心臓病も患っている老女ですが、死にたくないと仰られるのです。若い頃は有名な女優としてたいそう華美な生活をなさっていたと聞いています。世界の隅々まで旅行して若いボーイフレンドが何人もいたみたいです。もうこれ以上寿命が延びたとしても楽しい事は残っていないだろうと思います。120年の間ただ生きる事のみに集中して死ぬことなんか少しも考えなかった結果、まだ生きる事に未練があるのでしょう。どうしても若い肉体が欲しいと言われるのです。今の技術ではまるきり不可能ではありません。脳以外を全部取り替えれば良いのですから。だけど若い身体にしたところでその身体を動かすのは120歳の脳です。ヨボヨボとした動きしかできないでしょう。それだったら脳も若くして頂戴って言われました。自分の脳細胞を培養して新しい脳を作る事はできます。そうやって生まれ変わる事はできてもそれはもう貴方では無いのです。自分の脳細胞から作るんだったら私は私に違いないじゃないと反論されました。記憶や経験や思想をデータとしてバックアップを取っても生身の脳にダウンロードすることは出来ません。僕みたいに電子脳であればそれは可能でしょう。

あと850年後には地球の資源が枯渇するでしょう。そうなると僕の身体を再生する材料がなくなります。電力がなくなるのも困ります。人間はそこで絶滅しても仕方ありませんが、僕は違います。僕はひとり火星に移住してでも生き残る術を考えます。

 

 

公共の心

また、ボク自身の恥かしい過去の出来事を書きたいと思います。内容もどちらかと言えばどうでも良いことです。

小学校2年生の頃だったと思います。学校からの帰り道、その頃はまだ田んぼがいっぱいあってその畦道を歩けば家までの距離をぐっと短くすることができました。その日もショートカットしようと畦道を覗くと、そこには真っ赤な彼岸花がたくさん咲いていました。まるで田んぼの区画を赤いサインペンで塗りつぶしたように赤い花で畦道が彩られていました。綺麗だとは思いませんでしたが、すごいと思いました。しげしげと彼岸花を観察した後、ちいさな木の枝を刀がわりに彼岸花を切ってみました。彼岸花は丸く大きな花の部分が、約30cmほどの茎の上に乗っかっています。茎はほぼ垂直に立っていて葉っぱは下の方についています。ボクが切ったのはこの茎の部分で、硬くないのに花の重さにやっと耐えて支えているような少しはかない感じがしました。そして勢いよく振りぬかれて茎が切断され、花は真っ直ぐストンと土の上に落ちました。この花が落ちる様子が小学校2年生の僕には何故だかとても美しく感じてしまったのです。本当に真っ直ぐに少しも傾かないで下向に移動したのです。もう一本、切ってみました。今度は小枝の振り方が悪かったのか、少し傾きながら地面に落下しました。精神を集中してもう一本切りました。まったく綺麗に彼岸花の丸い赤が静かに落ちました。もう夢中です。いかに美しく花を落とすか、そのことに集中していました。そして何本の彼岸花を切ったのかは覚えていません。その時、近くで農作業をしていたおじさんに声を掛けられました。声を掛けられたというより、怒鳴りつけられました。「なんてことをしているんだ!」「どうしてそんなことをするんだ!」ボクはビックリするだけです。そして何をしているのかと何故しているのかを一生懸命おじさんに答えました。「花を切っています」「カッコいいからです」そんな答え方をしたと思います。農家のおじさんもボクの答えにすこし戸惑っているようでした。そしてゆっくり話してくれました。「いいか坊主、この花は1年に1回しか咲かない。そしてこの花が咲くのを待ちわびている人もたくさんいる。お前はそんな人の気持ちを踏みにじったんだぞ」もっと色々と説教されたと思いますが、覚えているのはそれだけです。だけど、おじさんが言いたかったことは良くわかりました。良くわかるように話してくれたおじさんの愛情を感じました。

翌日、ボクはその事を学校の先生に話しました。「もうしません」的な話です。先生は「それは公共の心というものだよ」と教えてくれました。言葉は難しくて良くわからなかったのですが、いろんな人を大事にする気持ちが心の中に生まれたと思います。それからずっと忘れたことはありません。