初老時代 セミリタイアライフ

還暦オーバー!今日もチャレンジ!

セミリタイア 孤独を愛そう

会社や事業からすこし距離を取って、セミリタイア生活をおくっています。

とはいえ、毎日のように出勤してます。気持ちだけがセミリタイアしている様です。

 

社長という職業は、そもそも孤独です。

精神的セミリタイア状態になると、その傾向はさらに強くなります。

ボクが抱いている運営方針や考えは軽視されはじめ、社員全体の意見を尊重することが多くなります。

とても良い事です。それで本当に上手く事業が廻るのなら秒速でそうします。

でも、現実は誰かがリスクを負って重要な決断をしなければなりません。

例えば、社員に欲しいだけのボーナスをあげたら1年で資金ショートします。

キチンと考えて支給額を決めますが、その考えは社員には伝わらないでしょう。

そのうえ、自分はもうすぐ引退するからなどと逃げ切り計画を披露すれば、理解が得られないのも頷けます。

自分から距離を作っているのですから、当たり前です。

おたがいを理解し合おうという思想自体が無くなっています。

ボクが育った昭和の時代は、会社の社員はみんな家族のように励まされたり叱られたりして成長するのが普通でした。

人間関係も濃密でした。個人的な問題も社員同士で解決したり、愚痴や悩みも上司に相談していました。

ボクも最近まで、新しく社員を迎える時は、その社員の人生を請け負うくらいの覚悟で雇い入れていました。

もう、そんな会社はどこにもないでしょう。時代が変わったのだから。

組織に依存せず、個人で独立して生きて行く。

時代はそんなハードモードを選んだようです。

ボクも甘えていないで流れに乗らなければいけません。

依存しないし、依存させない。

寂しい気持ちはもちろんあります。

愛しているのに嫌われているみたいな心境です。

 

老後は他とのコミュニケーションの機会が減少するから積極的に人の輪の中に入ったほうが良い。そんな意見もおおく目にしています。

しかしそれは、心のソーシャルディスタンスを置いた交流です。

愚痴や個人的悩みの解決には適さない節度のある交流です。

昭和のあの暑苦しくてギトギトしていて無頓着で力強いつながりはもう有りえないのです。過去の遺物です。

ボクらは孤独に生きるしかないのでしょう。

だからボクは、この避けようがない孤独というものを愛そうとしています。

自由で自己責任でナチュラルで心がやすまる孤独という時間を楽しむのです。

 

セミリタイア 相棒

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新たな相棒が加わった。

以前から何度も書いている「小さなバイク」クロスカブが納車された。

金曜日に自宅に乗って帰り、土曜日は朝はやくから起き出して、島原半島を一周した。

130kmを3時間ほどかけて走ってきた。

翌日の日曜日は朝から雨が降っていたが、どうにもソワソワが止まらず、雨上りの午後をハンターカブと過ごした。標高1000mの五家原岳アタックだ。

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原城跡と島原城

小さい時から乗り物が好きで、特にバイクは擬人化して接するほど思い入れがある。

 

まさにバイクはボクの相棒である。

走りながら常に会話する。

「きれいな景色だな」

「思ったよりも寒いな」

「そろそろ休憩を入れようか?」

ちゃんと返事がある。

他人には聞こえないだろうが、ボクだけには聞こえている。

「もう少し走ろう!」

バイクはもっと走りたがっている。

「よぉし、海が見える丘の上まで行くか!」

アクセルをひねると、バイクはボクの背中を押す。

「行こうぜ、相棒!」

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セミリタイア 息子との会話

息子は遠くに住んでいます。

就職活動に失敗したらしく、給料が少ないとこぼしていました。

ITエンジニア・プログラミングをしています。

ボクの知識ではその職業は高給取りのはずですが、どうしてでしょう?

だけど、残業とかはあまりないようで、19時には自宅アパートに帰っているようです。

昨日も、19時頃にLINE電話で話をしました。というか一狩り行ってきました。

そうです。モンスターハンターライズです。

齢をとってくると、説明書やチュートリアルの用語が理解できないことがあります。

一緒にゲームすることで、息子から教えてもらえてとっても便利です。

いろいろアドバイスとかもらえてサンキューです。

 

社会人になって3年目、上手くやっているのか心配でした。

生活は苦しくないか?仕事で挫折していないか?ちゃんと遊んでいるか?

でも、モンハンをプレイしながら息子の様子をうかがうと、杞憂のようです。

明るく、優しく、精神的な余裕も感じられる態度にとても安心しました。

妻に

「楽しそうだったな」

と声をかけると

「久しぶりにあなたと話せて嬉しかったんじゃない?」

と答えました。

もし、そうだとしたら、それはそれで心配です。

25歳の若者(ここで男子とか書いてはダメ)が父親と話せて嬉しいなんて普通じゃないでしょ。

父親はめんどくさくてウザったいものです。

すぐに正論で抑え込もうとする存在ですから。

ボクもそんな父親です。

自分が泥だらけになって経験した知識や知恵を伝えたいからです。

時にはウザく感じられるでしょう。

それでも幸せになってもらいたい。

だから嫌われても良いという覚悟で正論(必ず正解とは限りません)を吐きます。

 

さあて、今日も息子とモンスターを倒しに行くぞ!

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セミリタイア ケチは美徳だ

一概に長く経営に携わる人間はケチだと言えます。ボクもそうです。

大波小波を越えてきたからです。

人生の大波小波を越えてきた人たちもケチであるべきです。

これからも波をかぶりながら生きて行かなければならないからです。

ケチの中身は重要でしょう。

なんでもかんでもケチればいいという物ではありません。

人を幸せにする出費にはドンドンお金をつぎ込むのが良いでしょう。

逆に見栄や世間体のために使うお金はもったいないと思います。

何十年も人間という稼業をやっていくうちに解るのもなのです。

他人が手に入れたアイテムが楽しそうだから、同じものを手に入れると自分も楽しいはずだと勘違いして、なんとなく寂しい気持ちになったご同輩はたくさんいると思います。

価値観は固有のものです。

環境や性格が違うのですから価値観も違っていて当然です。

だれかが決めた価格を鵜呑みにするなんてバカみたいと思いませんか?

そう考えていくと、世間からはケチだと思われてしまうのです。

だってボクにとってはイタリアン料理なんてワンコインの価値しかありません。

逆に、毎日7時間以上過ごすベッドには50万円かけても惜しくないです。

服装は清潔であれば合格です。それにセンスが加われば優勝です。

お金さえかけていれば、ある程度の保険になると言う考えは甘えです。判断から逃げているのです。

自分の頭でひとつひとつの価値を判断すると、ケチになります。

もっと有意義な使い道がある。もったいない。

周りの人と自分自身が幸せになるお金の使い方がしたいのです。

まあ、ただの貧乏人の考えです。

では、有り余るほどのお金があればケチでなくなるのか?

いいえ、もっと有意義な使い方を考えます。

セミリタイア 遊ぶために生きる

いよいよ今週末にバイクが納車されます。たった110ccのちいさなバイクですが、待ち遠しくて準備に余念がありません。いろいろ装備品を買いました。ヘルメット・荷台のかご・スマホホルダー・風防・スマホ用電源など。

バイクだけではありません。ドローンも手に入れました。FPV(一人称視点)のVRで操作するドローンがほしかったのです。鳥のように自由な空の散歩が可能になりました。

モンスターハンターライズもポチりました。ワールドやアイスボーンはテレビの画面を占拠してしまうので妻が不機嫌になります。また、ボクは世界の崩壊をふせぐよりも村人に危害を加えるモンスターを退治しているほうが性に合っています。その点、任天堂Switchはちょっとしたすきま時間で村の平和を守ることができます。

 

ボクの場合、フルリタイアするまでにはもう少し時間がかかりそうです。もう少し働き続けなければいけないみたいです。そんな中、残り時間の使い方をあれこれ考えていますが、結論は「悔いなく遊ぶ」ことにしました。身体が動かなくなる日は誰にでも訪れます。突然訪れるか、ゆっくりジワジワそうなるか。その日が来た時に後悔をしないように遊び倒す。お腹いっぱい遊んでおわる。

もちろん遊ぶためにはある程度のお金が必要でしょう。遊ぶ内容にもよりますが、バイクは34万円です。ドローンは中古(メルカリ)で3万円でした。その分は働いて稼ぐことにします。くたびれてはいますが、本業でもアルバイトでもまだ時給3000円くらいの市場価値はありそうです。あくまで遊ぶためと考えると苦行苦難の行為でもありません。

この遊ぶための仕事は、すべての人が享受できるものではありません。こんな働き方ができる状況に感謝しなければなりません。いくらかの社会的役割を果たし終えたボクらの世代にあたえられた果実です。そもそも子供も自立し生活費もあまりかからなくなっているのですから、仕事は食べるためというより遊ぶためのものになっているのではないかと感じます。

遊びの本質は楽しむことなのです。ときどき、仕事を充実させるために遊びは必要だとかたまには遊んで息抜きをしなければストレスがたまるなどと言う人がいますが、実は逆です。遊ぶために仕事をするのであって、仕事をするからストレスがたまるのです。だったら仕事をしなければ良い、だけどそうすると楽しいことができなくなるので仕方なく仕事をするのです。

なかには生きて行くだけで精一杯で、楽しみなんてこれっぽっちも存在しないと言う人もいます。本当でしょうか?まったく生活に楽しみがないのであれば一刻も早くいまの仕事を辞めるべきです。楽しく生きるために仕事があるのですから。本当は、何らかの楽しみがあるのではないでしょうか?風呂上がりのビールとか推しのコンサートとか日曜日の散歩とか。もっと楽しみたいのならもっと仕事をしなければならないこともあるでしょう。だけど自分が楽しめる遊びは自分で決めることができます。

ボクには豪華客船で世界一周の旅に出ることはむずかしいです。もっともっと働いて2千万円ほど稼がなくてはいけないからです。それは嫌です。それよりも110㏄のバイクで行く四国一周の旅を選びます。費用は50万円です。ボクにとってはそっちの方が楽しめる遊びなのです。世界を巡って知見を得るために遊ぶのではなく、ただただ楽しむために遊ぶ。ボクは遊ぶために生きるとこにしました。

 

自分だけでなくどんな人も自由に生き抜ける社会

「どのような選択をしても、人間としての尊厳をもって生きていかれる社会が必要です。自由を生き抜くとは、自分自身の自由を大切にするだけでなく、どんな人も自由を生き抜ける社会を作ることなのです」ーー。

2020年度末で法政大学の総長を退任する田中優子氏が、学位授与式で述べた告辞です。

本文を読むと、男女差や性差別をベースにしたお話でした。

ボクは自分の老後の在り方について大切な示唆をいただいたと感謝しています。

自分の自由だけでなく、どんな人も自由に生き抜ける社会を創るための努力を続けなければならないと思います。

ただ一つ、お話の中に抜け落ちていたのは、自由に生きるためにはリスクを負わなければいけないこと。社会はすべてを与えてくれるものではないということです。

誰もが裕福な暮らしを願いますが、すべての人ができることではありません。

自由と豊かさはまったくちがう事柄です。

それに言葉の定義だって人によって、生まれた国によってずいぶん違うのではないでしょうか?

自由に生き抜くためには自由を阻害するものと戦うことが必要です。

阻害するものとは、社会であったり、他人であったり、もしかして自分自身であるかもしれません。

戦いの中で自分や他人や社会が傷つくことはあるでしょう。

それは当然のことだと思います。

他から与えられた自由は簡単に他から奪われるのです。

 

誰もが自分で選択し、選択したことに責任を取ることが自由な社会だと思います。

 

セミリタイア 冒険するこころ

ついにクロスカブが納車されます。

 去年の暮れに、ほぼ衝動的に注文したクロスカブです。

さくら舞う田舎道を走ることは可能になりました。

ただ、四国への道のりはいまだ遠く、近場でチマチマ楽しむことにします。

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最近は冒険することに逃げている自分を自覚することが多いです。

背中にべったりと絡み付いたしがらみを、旅に出ることでぬぐい取ろうとしている。

それを冒険と呼んでいるのだから我ながら滑稽です。

冒険すべきフィールドは日常の生活であり、仕事のフィールドではないだろうか?

まだまだやれる事があって、勇気を持てばあたらしい世界を見れるかもしれない。

心地のいい優しい世界かも知れないし、厳しくおそろしい世界かも知れない。

それを見に行きたい気持ちと、逃げ出したい気持ちが混ざり合っている。

ひとつだけ確信があるのは、こころの耐久性があまり残っていないという事です。

会社を創って17年。数多くの人に会い、多くの経験もさせてもらいました。

楽しい冒険でした。だけど少しづつ心の許容量が減っています。

自分の残り時間を考えるだけで精一杯になりました。

 

でも納車って何回経験してもワクワクしますね。

何処に行こうか、来週が待ち遠しいです。

バイクが与えてくれる風と景色が、くたびれたこころを修復してくれるといいな。