死生観について考えさせられた
こんにちは毎日更新が途切れたこもしんです。
数日前にボクはこんなtweetをしました。
ボクも歳を取ったので(60歳)わかるのですが、高齢になるとドンドン行動制限が増えてきます。
— コモ社長@セミリタ中 (@como_shin60) 2020年5月26日
わかりやすく言うと、ドンドンつまんなくなっていきます。
人生はリスク取ってなんぼです。
これだけでは、何が何だかわかりませんよね。実は、ある若手介護事業経営者のtweetに対してのリプライです。
元tweetは本人から承諾を受けていないので掲載しませんが、ボクなりの理解で彼のつぶやきを要約します。
夜中の3時半。104歳の老人が入所している介護施設(小規模多機能介護)で、天丼食べたいと話されたそうです。スタッフ(たぶん経営者)は天丼は作れないけどラーメンだったら作れると言ってラーメンを作ってあげたそうです。動画が上がっていて老人は「おいしい」っておっしゃっていました。
このtweetに、無責任だとかケアプランに計画されているケアなのですか?とかちょっと頭おかしいんですかとかプチ炎上していました。
そこでボクのtweetです。心身の衰えでただでさえ行動に制限が増え続ける老齢期に、ラーメンがおいしかったとしたら、すごく嬉しいことだろう。良い施設だなぁ応援しないとなと思ってtweetしました。彼のボクへのリプライは「こんな人もいます」と応援の意図が伝わっていないコメントにがっかりしましたけどね(笑)
プチ炎上にもかかわらず若き経営者のtweetはもっと過激になりました。
ご利用者の死期に際し、本人や家族の心身の苦痛をやわらげ尊厳ある最期を支援することを「看取りケア」または単に「看取り」といいます。
その最後の本人と家族と介護スタッフの模様をtweetしたのです。決して厳かでもなく悲しみでもなく、精いっぱいケアをしてきた家族と介護スタッフの打ち上げ会のような雰囲気の言葉がSNS上にありました。
彼がやろうとしている介護観・死生観への問題提起はよくわかります。もっと議論すべきだと思います。だけどその方法としてtwetterなどのSNSを使うのは賛成しかねます。時間をかけてせめて実名で議論する場を作るべきだと感じます。彼は本名を出していますが反論を書き込む人の多くは仮名です。責任ある議論はできるはずがありません。
「軽率じゃないの?」というボクのtweetにはリプライはつきませんでした。
人間が生まれて生きて死ぬという事はとても自然なことです。だけど山に住む動物や植物のように、運命に何も文句を言わずに死んでいく人はとても少ないでしょう。人格とか尊厳が命の重さに違いを与えているのだと思います。人格とか尊厳を保つ方法なんていろいろあって当然だし、世の中の多くの人がその事をもっと考える必要があるのです。何も考えない人ほど、今まで通りの形式を崩すことに抵抗を示します。その方が楽だからです。
今の日本の状況も国に守られた思考停止した人々が多数を占めているように感じます。終末医療や延命治療、尊厳死の問題もなかなか前には進みません。コロナ禍の今だからこそ、彼は炎上覚悟で問題提起したのだろうと思います。
「孤独死が怖い」などの、これまでの死生観を保ちながら超多死社会に突入する事へ危機感を覚えます。
夜中のラーメン旨かっただろうな。