セミリタイア 孤独を愛そう
会社や事業からすこし距離を取って、セミリタイア生活をおくっています。
とはいえ、毎日のように出勤してます。気持ちだけがセミリタイアしている様です。
社長という職業は、そもそも孤独です。
精神的セミリタイア状態になると、その傾向はさらに強くなります。
ボクが抱いている運営方針や考えは軽視されはじめ、社員全体の意見を尊重することが多くなります。
とても良い事です。それで本当に上手く事業が廻るのなら秒速でそうします。
でも、現実は誰かがリスクを負って重要な決断をしなければなりません。
例えば、社員に欲しいだけのボーナスをあげたら1年で資金ショートします。
キチンと考えて支給額を決めますが、その考えは社員には伝わらないでしょう。
そのうえ、自分はもうすぐ引退するからなどと逃げ切り計画を披露すれば、理解が得られないのも頷けます。
自分から距離を作っているのですから、当たり前です。
おたがいを理解し合おうという思想自体が無くなっています。
ボクが育った昭和の時代は、会社の社員はみんな家族のように励まされたり叱られたりして成長するのが普通でした。
人間関係も濃密でした。個人的な問題も社員同士で解決したり、愚痴や悩みも上司に相談していました。
ボクも最近まで、新しく社員を迎える時は、その社員の人生を請け負うくらいの覚悟で雇い入れていました。
もう、そんな会社はどこにもないでしょう。時代が変わったのだから。
組織に依存せず、個人で独立して生きて行く。
時代はそんなハードモードを選んだようです。
ボクも甘えていないで流れに乗らなければいけません。
依存しないし、依存させない。
寂しい気持ちはもちろんあります。
愛しているのに嫌われているみたいな心境です。
老後は他とのコミュニケーションの機会が減少するから積極的に人の輪の中に入ったほうが良い。そんな意見もおおく目にしています。
しかしそれは、心のソーシャルディスタンスを置いた交流です。
愚痴や個人的悩みの解決には適さない節度のある交流です。
昭和のあの暑苦しくてギトギトしていて無頓着で力強いつながりはもう有りえないのです。過去の遺物です。
ボクらは孤独に生きるしかないのでしょう。
だからボクは、この避けようがない孤独というものを愛そうとしています。
自由で自己責任でナチュラルで心がやすまる孤独という時間を楽しむのです。