ボクの定年

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機械は夢を見るのか?『脳の意識 機械の意識』読後感想文

個人的にはやりたい事をやった後は、あまり長生きもせずに静かに無になりたいと思っています。

ただ、生への執着が強く、コンピューターに自分の意識を移植して永遠の命を手に入れたいと考える人もいるようです。不幸だと思うよ。

 

『脳の意識 機械の意識』という本を読みました。

ボクにとってはとても難解で、正確には読み解くことができませんでしたが、興味深い内容でした。

 

子供の頃、サイボーグ009とか新造人間キャシャーンとか人造人間キカイダ―&ハカイダ―等その世界観に魅了されていました。

人間なの?ロボットなの?サイボーグって?アンドロイドって?

多くの疑問を残したまま物語を視聴していくうちに、やがて主人公たちの深い悲しみを知ることになる。

サイボーグ009キャシャーンそれにハカイダ―は人間の意思を持っているのに対して、キカイダ―やターミネーターは人間の意思を持たないロボットの派生形になるだろう。

問題は、機械の意思と人間の意思に違いがあるのか?そもそも機械に意思が宿るのか?

そして人間の意思を機械に移植することは可能なのか?

 

『脳の意識 機械の意識』という本では超真面目にこの命題に対して考察されており、脳神経科学の知識が詰まっています。

そして、筆者は『未来のどこかの時点において、意識の移植が確立し、機械の中で第二の人生を送ることが可能になるのはほぼ間違いない』と言っています。

もし、そんなことが出来るのであれば人類は有史以来の夢であった不老不死を手に入れることになります。

果たして喜ぶべきか憂うべきか。

 

本を読みはしたが、理解は出来ませんでした。

しかし、ぼんやりとした概要は見えた気がするのです。

意識とは記憶と情報を基に、膨大な推論の上に導き出された主観ではないでしょうか?

また、その主観と並行して数多くの客観(データ)を繋げながら、少しずつ主観が明確化していくというプロセスを経て、個々の意識は成り立っているのかもしれないのです。

量子コンピュータなどを使えば何万何億という推論の末に独自の思慮ができる『意識』を生み出せそうです。

我思う、ゆえに我ありなのです。

機械にも多くの記憶データや膨大な情報があれば『ワタシは青い色が好き』とか『今日はなんとなく疲れた』などとつぶやく機械は出現するだろうと思います。

 

だが、機械に人間の意識を移植するとなったら話は全然違ってきます。

人間の脳は1000億個のニューロンから構成されていて、当然ながら機械とは全く違うシステムで動いているのです。

アナログ的システムは電気刺激を伝達するだけなら機会に置き換えることが可能かも知れませんが、同時多発的にあいまいさをもって伝達する芸当はデジタルにはむずかしいと思われます。

なぜなら生身の脳には髄液が満たされており、この液体のなかを伝達のための『神経伝達物質』が泳ぎ回っているのですから。

配線では組めない回路なのです。

もし、強引に途方もない量の配線を作ったとしても、アナログデータはとんでもない遠回りを強いられることになりそうです。

 

映画『ロボコップ』を観た時、これほどの悲劇はないと思いました。

機械の中で目覚めた時、人間の思考方法(思考機序)は否定され、徐々に意識もデジタル化されていくはずです。

生身の人間の脳の中で形作られた意識も、機械の中で変化しながら機械の意識に変わっていくのでしょう。

その時、移植された意識は機械の中で夢を見るのでしょうか。