試合終了後のインタビューを拒否している大阪さん
東京オリンピックの開催に対して反対の声が大きくなってきてます。
ボクもどちらかと言えば反対です。
それは、国民・都民にとって安心安全な大会にするための方法やアイデアを国や都に期待できないことが現実的となっているからです。
スポーツ大会の在り方をもう一度考え直す時点にきているとおもいます。
そんな時に、プロテニスの大阪なおみ選手が試合後のインタビューを拒否し、最悪の場合、グランドスラム大会への出場権をはく奪される可能性が出てきたというニュースをあさチャンで見ました。
結論から言うと、プロテニスの大会はプロの興行なので、選手は興行主との契約もしくは約束は守らなければ大会という興行に参加はできないのです。
興行主が大会を開催するためのお金を投資してお客さんを獲得し、お客さんから頂いたお金で選手を招き、賞金を支払う。
身もふたもない表現ですが、これが現実です。
大阪選手はツイッタ―に「怒りは理解の欠如。変化は人々を不快にさせる」と投稿したそうです。
理解の欠如はお互いであって、話し合いこそが必要なのだとおもいます。
一方的に「Good bye&Good RIDDANCE」では解決する気がないのは大阪選手のほうだとみなされてもしかたがありません。
たぶん、彼女はお金のことなんかまったく頭になくて、ただ活躍すれば世界中の人々が喜んでくれると思っているのでしょう。
プロもアマも含め、スポーツが興行寄りになってしまっているようです。
スポーツには本来、心と身体の健全とあくなき限界への挑戦という自分の内側に向けた取り組みかたがありました。
それだけでなく、他人から認められたいという承認欲求があるでしょう。
有名になることでの経済的利点も存在します。
スポーツを極めるモチベーションの割合のなかで、少しずつそれらの要素が増えるているのではないでしょうか?
純粋にスポーツの素晴らしさを多くの人々に伝えたいだけなら選手とボランティアだけで大会を主催しても良いのです。
しかし、それだと命を削るような練習はできず(しないほうが良い)、感動を呼ぶ競技を生み出すことは難しいでしょう。
多くの人の努力(利益)を基にして大会(興行)があるのです。
だけど、決して努力(利益)を否定することはできません。
ボクを含めみんなが自分の利益のために必死で生きているのだから。
飲食店経営者もその人生を賭けて必死で利益に挑戦しているとおもいます。
そこに貴賤が発生するはずはないのです。
スポーツが実態以上に神格化されて久しくなりました。
大阪さんは興行主と話し合いをするか、引退して独自でテニスで生きる道をみつけることです。