お金を増やすゲームに付きあう必要はほんとうにあるのか?
資本主義経済はそろそろ終焉を迎えるのではないか?
数年前から確信めいた思いがあります。
資本主義経済は発展を続けなければ崩壊する。逆にいうと発展し続けるから資本主義であり続けられる。
よく耳にする経済の格言「会社の現状維持は維持ではなくて衰退である」
それならば会社はずっと右肩上がりで売り上げでなければ死を意味することになる。
借金なしで、このミッションを完遂できる経営者はほとんどいない。
だから全ての会社は死に向かって進んでいると言っていい。
まるで人間の寿命のように。
トマ・ピケティさんが本に著したように、もはや人類は労働によって富を得ることは困難になっている。
資本で資本を作るフェーズを迎えている。資本主義経済の末期症状だ。
そしてそんな世の中で資本に稼いでもらおうとしても、2000〜3000万円というハシタ金ではどうにもならない。
せめて億単位のお金がないと株や投資で生活費を作り出せない。
そうなると当然、生活レベルを落とすしかない?
壊れかけた資本主義の元で、この競争に勝たなければ豊かな生活は得られないとするのは、これまた資本主義に都合のいいルールである。
「お金を増やすゲーム」に付きあう必要はほんとうにあるのか?
長距離走が得意なひとが、100m走で勝負するような、あきらかに自分に不利なルールのゲームを戦っていないだろうか?
生活のレベルを測るのはお金とお金がもたらすものだけではない。
余裕のある時間や人間関係や自然など、豊かな生活を測る指標はいくらでもある。
たとえば、あなたが田舎に住んでいるとしたら、ボクは家庭菜園をすすめる。
商業主義の中で肥大化してしまった食糧生産のコストを何も考えずに支払ってきたことにそろそろ気付かなければならない時期にきている。
ゴルフボールほどの大きさのじゃが芋やおおきくねじ曲がったキュウリなど食料としては問題はないのに、販売するための規格に合わないだけで廃棄されている。
その廃棄される食料の費用も合わせてボクらは支払っている。
そんなルールに乗らなくてもいい。
自分の価値基準は自分で設定してもよいのだ。
それがゲームを楽しむ方法だとおもう。