ボクの定年

還暦オーバー!今日もチャレンジ!

ボク達が勝つことができない理由

この世の中では、多少自己中心的な人間が上手くいっているように思える。なるべく自分に利になるようなゲームしか参加しない。スタートの時点から最後まで負ける気がしないゲームで勝つのが効率的だ。資本主義経済の中では現にお金を持っている人が圧倒的に有利だ。スポーツなら身体能力が高い人ほど勝つ確率は高い。もともと絵が下手な人が絵画コンクールで入賞するのは奇跡に近い。何も得意がない人が常に負け続けることになる。

小学生の頃、クラスで将棋のムーブメントがあった。ボクはいつも負け組だったのだけど、一番将棋の強い子から「棒銀戦法を教えてやるから」と言われてつい嬉しくて放課後に将棋盤を囲んだ覚えがある。ムーブメントの中で将棋の強い鬼塚君はスターになった。クラスの中心で発言力と影響力を持つようになった。その頃、サッカーも流行りはじめていた。サッカーは割と得意だった。でも、将棋で負けるのが悔しくて強くなりたいと将棋を取った。だけど少しずつサッカーで遊ぶ子が増えていきスターの座はサッカーが得意な松山君が勝ち取ることになる。将棋グループは3~4人に減っていてボクは鬼塚君の子分みたいになっていた。今でいうマウントを取られていたのだ。ボクと遊んでほしいくせに命令口調で将棋に誘うのだ。もうボクは将棋が嫌いになっていた。鬼塚君を見捨ててサッカーに興じた。

お金儲けが得意な人はお金がいかに有用かを論じる。そして一人でも多くの人がお金稼ぎゲームに参加するように促す。権威を持っている人は体制を維持することの重要性を説き、寄らば大樹の陰に多くの人を集め、さらに体制を強固なものにする。何も知らない烏合の衆は甘い言葉にほだされて、良くわからないルールのゲームに参加させられている。参加させられているという意識も持てないほど、彼らは巧みに自分が勝てるフィールドに誘い込む。

誘い込んでかすめ取る。人生は勝ち負けではないという意見ももっともだ。かすめ取られても気にしなければいい。でも、ゲームは少なくとも楽しいものでなければならない。勝てる領域を発見し、領域を拡げ、フィールドのスターになるのが得策だ。