生活を小規模にしても豊かでいたい~small life
こんばんは。元気な60歳こもしんです。
今日も雇用調整助成金の勉強で一日が終わりそうです。
多くの人が生活の設計図を作りかえようとしています。今までの生き方が良かったとは思わないけど、今までの生き方では生きて行けない可能性が出てきました。あたらしい設計図が必要なようです。
自由度が高い生活
気が付くと背伸びもできずに、縮こまって生きていませんか?
何故のびのびと過ごせないのか?それは誰かにきん〇まを握られているからです。
ボクの場合だと役所の高齢介護課とかよく仕事をしてくれるパートさんだとかに握られています。彼ら彼女らの前ではなかなか本音が言えません。勝ち目ゼロの反撃が待っているからです。
ただし、突き詰めて考えると、役所の担当課に睨まれたくないからで、睨まれたら仕事がやりにくくなるからです。打算がはたらいています。不利益を承知で自由になると、面倒くさいことは増えます。おいしい汁も吸えなくなります。稼げなくなることもあるでしょう。それは選択次第です。選択の先にしか自由はありません。
お金がないと自由は手に入らない?
ある程度の収入は必要です。そのための自由の制限は仕方ありません。選択して自由度を決めましょう。馬車馬のように働くか、そこそこ働いてそこそこ稼ぐか?どちらでもいいのです。期間を決めて死んだ気になって働いてもいいと思います。疲れたらいつでも辞めれたらいいのです。
たくさん稼げなくなったとしても貧しくなるとは限りません。収入と支出の差がプラスであれば豊かに暮らせます。老後のために蓄えてもいいし、将来も稼げるように自分やお金に投資するのもいいでしょう。稼いだ金より少なく使うだけです。それでお金の問題は解決します。
自分の居場所がある コミュニティの中で謙虚に存在する
言いたい事を言いっぱなしでは、みんな煙たがって自分のもとを離れて行くに違いありません。所属していたいコミュニティの中では謙虚に自分の役割を果たすのが、結果的には豊かな暮らしに繋がります。多くのコミュニティに属してしまうと、それだけで疲れてしまいます。なるべく最小限にとどめましょう。役割があることは、家庭でも遊びでも仕事でも精神的に安定するし周りからも信頼されます。結局人間は社会的動物であるのです。
努力することを楽しめる、楽しいことも楽しめる。