ボクの定年

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ボクの起業

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1 自己紹介

16年前に脱サラして介護保険事業を運営する有限会社を作りました。だから一応代表取締役です。ただ、規模は零細(年商8000万以下)で、社員も25人以下です。もちろん私の収入も同じ年齢の平均に達していません。すこし残念です(笑)

現在60歳で一男一女を育て、そろそろ自分だけの働き方改革を模索しています。特に体力に自信がなくなり、心身をリフレッシュする長い休暇を切望しています。

 

2 起業のきっかけ

きっかけになる出来事は以前に書いたものがあるのでご参照ください。

  

comoshin.hateblo.jp

  

でも、それよりもずっと以前に、たとえば小学生くらいのときから独立心はあったように感じます。

 

3 計画

まだ病院勤めの頃、平成12年に介護保険が始まりました。理事長から至上命令としてケアマネージャーの資格を取りるように言われ、必死で勉強しました。その時は独立なんて全然考えていなかったのですが勉強の過程で厚労省の課長の講演を聞く機会があり、その中で「サービスが足りません。サービス事業所を作って下さい。簡単な法人格さえあれば介護保険サービス事業を開設するのは難しくありません。」などという、今から考えればなんと無責任な発言がありました。なんだ、自分にもできるんだと思ったことを覚えています。

 

その当時の起業計画は、①病院を辞める。②妻にホームヘルパー2級の資格を取らせる。③国民生活金融公庫(現在の日本政策金融公庫)からお金を借りる。④古い民家を借りる。⑤借りた民家をデイサービスができるように改造する。⑥スタッフを募集する。

というものでした。なんと簡単な計画でしょう。でも結果的にこの通りになりました。

事業計画としては、月の売上が100万円、総経費が80万円。とこれまたざっくりとした計画でした。もちろんその数字の根拠はしっかりと調べましたけどね。

 

4 現実

結果的に計画通りになりましたが、現実はまさに生みの苦しみを経験しました。まず、家族の承認。二人の幼子を抱えて妻は相当不安だっただろうと思います。何とか説得しましたが妻の両親(義理の両親)は反対だったようです。また実の父親は地方公務員の堅物で石橋を叩いても渡らない性格。こちらはおふくろに説得してもらいました。

次に勤めていた病院の退職。実はこれが一番の壁だったと思います。とにかく辞めさせてくれない。最後は裁判を起こすと脅されました。嬉しいような悲しいような、必要としてくれる場所を自ら去るエネルギーは想像以上に大きかったです。苦しかった。それに仕事は順調だったのも遅疑逡巡させる要因になっていました。夜中に目が覚め、ものすごい不安が襲ってくることもありました。多くの人はここら辺で起業を断念するのかなと思います。

また、会計や労働基準、社会保障方面の知識がほぼ無く、あとで困ってしまいます。

 

5 覚悟

起業に必要なものは「覚悟」だと思っています。逆に言えば覚悟さえあれば他はどうにかなるのではないでしょうか?

私の覚悟は必ず地域で1番になる。そしてどんなことがあっても子どもを大学まで行かせる。というものでした。自分の自由になるお金は無くてもいい。実際最初の年の役員報酬は120万円、月に10万円からスタートしました。休みは無くなる、夜中も頭の中は仕事で埋め尽くされる。それを覚悟しました。

 

6 出航

平成16年に事業を開始しました。事業用の民家が簡単に見つからなかったり県に事業申請する際、担当者の人が良くわかってない人だったりいろいろありましたが、困ったときは不思議と誰かが助けてくれました。決して自分一人では起業できませんでした。

 

最後に開業日前日の日記の一部を掲載します。

大樹に頼らず、自分の力で生きていきたい。

 

リスクは承知で自由を手にしたい。

前職の理事長先生と同じような苦労を体験し、彼に少しでも近づきたい。

そんな思いで動きはじめ、とうとうここまでやってきました。

でも、そんなもんは今の時点ではな~んも見えません。

自由なんかかえって制限されました。

世間の人達がみ~んな偉く見えます。

でも、これから(明日から)楽しんでやっていこうと思います。

それで気がついたら「ちゃんと生きているぞ」って実感できたらいいなと思います。

生きがいのある人生を僕が歩かなけりゃ人に「充実の時間」を提供するなんて出来ないと思います。

 

以上、もう16年も昔の私の起業の記録です。