公的介護保険制度が始まってそろそろ20年がたちます。
高齢者福祉は格段に縮小しています。
福祉とは幸福という意味。社会福祉とは社会全体が幸福であるということ。社会が幸福であるためには、いろんな事情で生活をするのが大変になった人たちを含めて幸福であることだと思います。
昨年8月から現役並みの収入がある人は、介護保険サービスの自己負担率が3割に引き上げられました。
対象者は
①年金合計所得金額220万円以上
かつ
②年金収入の+その他の所得の合計が340万円以上の人
(単身者で年金収入のみの人の場合年間344万円以上)
具体的に要介護1で週に2回デイサービスに通う人の例を簡単に挙げてみます。
1割負担 674円×8日=5392円/月
3割負担 2022円×8日=16176円/月
その差は10784円/月 になります。
年代をさかのぼり、介護保険法制定前はどうだったか、振り返ってみます。
介護保険法制定前にも加齢その他の為、日常の生活を送るのに人の介助が必要な方はいらっしゃいました。当然ながら。
もちろん、その内容は今(2019年)と比較すると貧弱だったと思います。月に1回ほどの保健婦さんの巡回と、公民館などでお風呂サービスを中心とした預かり型デイサービスなどがありました。
費用は福祉という名の公費が当てられていました。要するに要介護者の負担は0円だったのです。
2000年4月に介護保険制度が始まって、高齢者福祉は公助(行政)から共助(保険)に入れ替わったのです。
社会を幸福にしようという気持ちが動かしていた公助から、不自由をお金で解決しようという共助になりました。
それは悪い事ではありません。お金はとても便利で効率の良い道具です。しかし私たちは道具としてうまく使っているようで、知らぬ間にお金という道具にふりまわされ続けているのです。
幸福になる為にはお金が必要な社会になっているのです。お金が中心で、お金を介して制度(システム)を回す以外に選択する余地が無くなっています。介護保険サービスの自己負担率の増加は、国が高齢者福祉をあきらめた結果だと感じています。
これから3割を負担しなければならない人は増えていくでしょう。お金を出さなくては充分なサービスは受けられなくなるでしょう。幸福は心の持ち方ではあるけれど、不自由な生活では心も荒んでしまっても仕方ないでしょう。
さらに私たちの心理の底に、お金(道具)を多く所有できなかったのは自分の努力が足りなかったから、誰にも文句が言えないというマインドがあるのです。
お互いのことを思いやるより自分のお金を確保するのが正義だという社会になりつつあります。
公的介護保険制度が始まってそろそろ20年が経とうとしています。見直しを行うのは厚労省を中心としたワーキンググループの人たちだけでなく、生活者である私たちも、今一度立ち止まり、冷静な意見を持つべきではないかと思います。