地域包括ケアシステムに対する違和感
超高齢化社会になって、人手不足とお金不足がますます深刻になっています。
ボクは営利法人を経営していますが、経営の目的は営利ではなくて地域福祉です。
地域の課題解決のために尽力する事が目的なのですが、それを単発ではなく持続可能にするには利益(お金)が必要なのです。だってお給料を払わなくちゃいけませんから。
お金という道具を使って持続できるシステムを作っているのです。
簡単に言うと、普通にスタッフと金銭的な契約をして事業を廻しているだけです。
今、日本が推進しようとしている地域包括ケアシステムは、お金というツールを使わず、地域のボランティア的な活動を作り出し、それを持続可能なシステムにすることです。
ボクは以前から、総論的にはこのシステムを構築することに賛成でしたが、方法論にはずっと違和感を覚えていました。でも、ボランティアで解決できないだろうという推測だけでした。
システムを動かし続けるには燃料が必要です。現実にはお金というツールが持つエネルギーが社会を廻しています。
一般的な会社や公務員などの組織でもその燃料はお金であって、副次的なものに人間の心があると思うのです。
もの凄く革命的なシステムです。お金を中心とした労働や活動を、お金以外の、例えば愛だとか信頼とか共同体意識などの人間の心を中心とした活動に置き換えようとしているのですから。
本当にすばらしい取り組みだと思います。
とうとう日本はお金に縛られない国家社会になっていくのですね。それって共さんしゅぎで。。。
それで、今までモヤモヤしてたものがスッキリしました。
もちろん、食費に困らない・子供を大学まで通わせるという個人的欲求はありましたが、ボクの心の支えとして、決して個人の利益(お金)のために事業をしているのではないという信念というか念仏みたいに繰り返してきた思いが、この地域包括ケアシステムが完成すれば、根底の部分が音もなく崩れ落ちます。
お金を必要とせず、社会の課題を解決できるのなら、介護保険サービス事業は必要なくなります。心の奥底で、これを恐れていたのかもしれません。
なんだ、ボクも既得権益を守ろうとモヤモヤしてたんだなと、逆に安心しました。
これからは、自己犠牲をもって地域包括ケアシステムを推進していきます。
ボランティアの最適任者は市役所職員とその退職者だと思います。市民の福祉のために働き、自らの生活も公に支えられてきたのですから、人間の心という部分においても一番理解できる人たちだと思うからです。
彼らでは不十分な部分に関しては、専門職として無償でお手伝いさせていただきます。
どうぞ、日本を宜しくお願い致します。
それでは、また夕刻に。