公務員の倅
26歳の頃、会社を辞めた
市役所勤務だった父親は、公務員試験を受けるように勧めてきた
実はボクが大学生の頃からずっと耳にタコができるくらい聞かされてきた
当時、27歳が受験資格のリミットだった
どうしても合格するための時間が足らなかった
頭が悪かったことも大きな理由だけど、公務員になる勇気が無かった
閉鎖的な環境で30年以上真面目に勤め上げる自信が作れなかった
親父の背中をずっと見てきたから
26歳の無職の半年間、ボクの頭の中は生きていく為の稼ぐ手段を得るためにどうするか?でいっぱいだった
父親から費用400万円を出してもらって、一生食べていけると思われる理学療法士の専門学校に入り、民間病院を経て自分の会社を作り、現在に至っている
一貫して生きるために稼ぐ、稼ぐためにお客さんを幸せにする
父親が市役所勤務でなかったら、ボクの人生は大きく変わっていたに違いない
大学4年間の学費に生活費の仕送りだけでも相当な金額だっただろう
やっと自立したのに、また専門学校の授業料
親父にもボクにも辛い4年間だった
だけど、公務員は不祥事を起こさない限り収入が保証されている
十分な退職金も計算できる
親父がいたからボクは前を向けた
生きる希望を設計することが出来た
そう、すくなくとも経済的に恵まれていた
だけど、自分の生活は厳しいままだ
やっと就職した民間病院の給料は18万円だった
入り明けで休みのない宿直業務の手当を合わせて手取り17万円くらいだったかな
これじゃあ結婚できないと悩んだ
給料を上げてもらうために必死で働いた
患者さんからの評判が良くなるように、成果を出した
医者や看護師さんら評価されるために勉強会を開催した
そうして10年で給料が35万円ほどになった
それでも足りなかった
2人の子供の学費がとても嵩んだ
最低でも1500万円は間違いなく必要だった
起業して稼いだ
稼ぐためには利用者さんに満足してもらわなくてはならない
ボクのデイサービスを選んでもらわなければならない
必死で働き、喜んでもらえるよう時には過剰サービスもしてきた
今はもう疲れて心がカサカサとか弱い音をたてている
年に数度、ふと親父の遺影に目が行く時、公務員になっていたらどうだっただろうと思う
大学院に進みたいという息子の希望も叶えてやれたかも知れない