歴史から老後生活を考える
西暦0年は日本でいえば弥生時代後期に当たるそうです
今から2023年前ですね
仮にすべての人が20歳で子供を産んだとしたら、
ボクの101代前のご先祖様は弥生人だった可能性があるということです
その頃の高齢者の生活はどうだったのでしょうか?
弥生時代には稲作が始まっていて、人々は一定の場所に定住していたようです
働けなくなったら即死亡の狩猟時代と比べて、老人になっても安心した老後があったのではないでしょうか?
米や野菜、木の実を貯蔵して働けなくなっても生存できたと思われます
しかし、いつも安泰な生活が出来ていたとは考えにくいです
凶作や天変地異など不測の事態には対応できず、共同体の存続が危ぶまれた時、排除されるのは老人か子供ではなかったかと推測します
共同体を運営する若者が、労働力はないが知恵のある老人と知恵はないが将来の労働力が見込める子供を天秤にかけて判断したのかも知れません
皆さんがリーダーだったらどのような判断をされるでしょうか?
なにも考えず、生命力が強い人間が残るという“判断をしない”という判断もあったでしょう
論理的に共同体の繁栄を考えると、労働力にならない老人を排除するのが正解のように思います
一時的な知恵はなくなりますが、稲作に必要な労働力を確保することを重視した判断が将来の共同体の規模や貯蓄力を増強することに繋がるからです
飛び抜けて優秀で有益な知能を持った老人以外は、姥捨て山のような処理がされていたのでは?と思います
翻って現代社会では、たいした能力もない老人が多大なる権力を握っています
101代の間に姥捨て処理されないように知恵を巡らし共同体を牛耳り既得権をつかんだのです
日本が豊かな国であり続けるためには、将来の労働力や生産力になる子供を多く育てなければなりません
長い歴史観でみれば、100年程ちょっと間違っただけに過ぎません
今からでも子供重視の考え方に切り替えて、一般的な老人は若者の邪魔にならないように生きましょう