初老時代 髪の変化
40年ぶり2度目のパーマをあてた。
おしゃれとしてではない。後頭部の薄毛対策である。
後ろからの視線が気になりだした。
ものすごく頼りなくなった後頭部の髪質は、ボクに頓珍漢な行動を促すに至った。
行きつけの美容院で正直に薄毛が気になるという事を相談し、一緒にいくつかの解決策を検討し、パーマをあてることにしました。
毛根の密度が低い場所がつむじの近くにあると意図にない分け目が発生し、「あぁっ」と声が漏れるほどの状態になります。
以前のボクは、「禿げてきたら迷わずスキンヘッドだ」と妻に話してきました。
未練がましく9:1分けなどしたくなかったのです。
そんな覚悟をすることで、避けては通れない人生の課題と向き合おうとしていました。精神的にも、今まではこの戦略は的を得たものであった。
しかし、薄毛になる部位の予想がはずれた。
予想していたのは前頭部からの後退、側頭部を残しながら徐々に後頭部に至るイメージを持っていたのだ。
気が付いた時は、すでに回復が望めない状態だった。
すぐに考えたのは、全部隊の撤収では無く、まだ活力のある側頭部からの増援だった。
耳の後ろの髪を後頭部中央にむけて横流しし、整髪料で固定させる。
これで当分は問題ないだろう。
その時のボクはまだそのような甘い認識をしていた。
朝はまだいい。
問題は夕方になってからだった。
側頭部から横流しされた髪は、時間の経過とともに重力にあらがえなくなってしまうのだ。
もともと頼りなく痩せ細った後頭部の毛髪は、接着された側頭部の髪の重さを支える力などあろうはずもなかった。
逆にパックリと左右に分かれ目を形成し、悲惨な状況を世に知らしめることとなった。
「抜本的な思考の転換が必要だ」
ボクは40年という時間がもたらすパーマ技術の進歩に、この難局を託す決断をした。
他人はボクの後頭部など見ていないし、そこが禿げていようが縮れていようがまったく興味がない。興味があるのはボクだけだ。
だから、2週間が経つというのに家族以外は誰一人ボクの毛髪に気付く者はいない。
それでいい。
若いころと違って、気付かれない事が心地いい。
もうすぐ、近い将来、スキンヘッドのボクをみて、どうか驚かないでください。