ボクの定年

還暦オーバー!今日もチャレンジ!

人心の掌握なんて考えるだけ無駄

むかしはどの地域にも子供会というものがあった。婦人会や老人会と同じような地域コミュニティに一つだった。ほとんどの小学生は会員として登録されており、月に1回程度の集まりがあったように覚えている。小学6年生になると同じ6年生の中から班長というリーダーを決めることになっていた。まだ11~12歳だから班長の役目とかリーダーの資質とか全く考えていなかった。そんな状況で選挙があった。子供たちによる班長選挙だ。15名ほどの小学生が自分の班のリーダーを決めていた。3人いた6年生の中から一人の班長と一人の副班長をその場で挙手で決めた。1票差で副班長になった。その時初めて自分の資質を感じた。何が自分に足りないのかというより、家族以外では特別な人間ではない事を知った。

中学生になるとさらに自分を知ることになる。クラスには必ず人気者がいる。ボクは人気者ではなかったが少しだけリーダーシップはあったと思う。でもそれは人気者とそれを取り巻く主流派に乗り遅れた連中をまとめるしょぼいリーダーだった。高校になるとボクの立場はクラスの最下層になった。リーダーになろうなんて全く考えない奴になっていた。悲壮感もなくただ目立たないように生きていた。なんとか運よく社会の歯車になれたらいいなと考えていた。幸い、大学がFランだったので自信を取り戻すことができ、クラブ活動ではリーダーとして大きな活躍をすることができた。あまり能力の高くない集団の中でしか戦えないし、戦ってはいけない事を肝に銘じた。

60歳になり、ただでさえしょぼいリーダーシップにも陰りを見せ始めた。社員のモチベーションを維持し現状を破綻させないための様々な施策を講じている。時には努力して手に入れたテクニックを駆使したり、ある時は人間味を前面に出したある意味泣き落としをしてみたり。無様であり醜悪だ。ボクはそんな状況を望んでいない。ただ、ボクを含めた周りの人の幸せを願っているだけだ。それも相手の心には届かない。ボクの努力は人心を引き付けるどころか離れていっている。ボクの人間としての魅力を決めるのはボクではないからだ。努力や経験で穴埋めできる性質のものではない。リーダーは資質だと思う。

 

暗い話ではなく、幸せになるための自覚と捉えている。