事業継承計画進行中
昨日は商工会議所の方をお招きして、事業継承の話をしました
いよいよ引退が近づいてきたのを実感します
事業とはもちろん会社(法人)のことです
堅苦しく感じるかも知れませんが、手っ取り早く表現すると「社長が替わる」だけになります
だけど「替える」のは意外とメンドクサイ
当然ながら利害があるからです
当初資本金300万円から始めた小さな有限会社
20年も運営してきたら会社の価値は10倍くらいにはなっているのが普通でしょう
会社の全権を譲るとき、会社の価値=株式の売値が最大の焦点になります
本当はただで譲っても良いんですが、ボクにも老後の資金が必要です
汗水垂らして経営してきた努力の結晶を手放すのに、今後貧困生活になるのはイヤだ
ある程度の価値を主張したいと思います
かといって法外な売値を提示するつもりはありません
商工会議所の委託税理士の先生に適正価格を算出して頂いて、その上でそれよりも安い価格で株式譲渡したいと思っています
何といっても自分の会社の社員に譲渡するのですから、社長交代以降に資金繰りが悪化しないように心配りするのは当然です
介護保険の小さな闇<カスタマーハラスメント>
何故65歳でスッパリと引退しようとしているのか?
理由の一つにカスハラがあります
利用者やその家族からのパワハラです
利用者の幸せを思って努力しても罵倒されたり暴力を受けたり脅迫されたりすることがあります
ボクのデイサービスでも数は少ないですが何度か経験しました
全く理不尽な理由でトラブルになります
例えば必要書類の提出をお願いしただけで激高されて「お前はバカだ!」と数十回も怒鳴られたこと
他の利用者に事実ではないことを吹聴し、自分の要求を飲ませようとされたこと
女性のスタッフに暴力を振るう人もいます
これらのことは、高齢で認知機能が低下しているという事実の元に仕方がない事とされています
介護職はプロなんだから受けとめなければいけないとの圧力を感じます
本当にそうでしょうか?
認知機能が低下すれば何をやっても良いんでしょうか?
横暴を現場の介護職員に押しつけることで問題がなくなるのでしょうか?
厚生労働省がキチンとしたカスハラに対するガイドラインを策定すべきだと思います
国として、介護保険監督官庁として介護職員を守る義務があると感じます
現実は各事業所にマニュアルを作るように指導するだけです
それだと現場に無理を押しつける事業所ほど利用者からは重宝され、逆に問題は深刻化するのではないでしょうか
介護保険では人権の尊重が大きな理念になっています
権利があるのなら法律を守る義務もあるはずです
ダウンサイジング計画(2)
ダウンサイジング計画(1)では具体的かつ家計簿的な内容を書きました
(2)では抽象的かつライフプラン的な話をします
その前に(1)では税金や社会保障費の考慮がなかったので、あれでは「収入>生活費」が成り立たないことをご報告しておきます
もっと頑張らなければ・・・
お金のことを細々と考えるのは本当は嫌です
だけど現実は計算しないとお金なんてあっという間になくなります
計算しなくても良い状態にする方法はないでしょうか?
「足るを知り、小さく整う生活」
ボクはこれを目指そうと思います
ミニマリストとか最近ではシンプリストとか言われていますが、ボクにはちょっと極端すぎます
あまり追求しすぎずゆるく整えば良いのではないかと思います
もっと言えば、「足るを知る」や「整う」は物を持たないことではなく、気持ちの問題ではないかと感じます
以前、中古ですがポルシェを所有したことがあります
中学生の頃からの夢でしたので、後悔していません。270万円くらいだったので無理をしたつもりもありません
1年ちょっと所有しましたが、正直「こんなものか」という印象でした
確かに工業製品としてすごいレベルの車でした
例えばブレーキは非常に良くできていて、100km/h以下のスピードなら事故は99%避けられると思えるほど、安定して強力な制動力がありました
ただ、それで生活が豊かになったかと言えば答えはNOです
もっと性能の高い車が欲しくなっただけでした
その時ようやく「足る」を知りました
生活を豊かにするのは良い物を持つことではなくて、安心した生活に足りるかどうかだったのです
ボクにとって車は安全性が高くて旅行に使える車かどうかで判断すれば良くなりました
知人がベンツに乗ろうがフェラーリに乗ろうが全く羨ましくなくなりました
足るを知ったことで心は楽になり豊かになったと思います
サウナー界隈で「整う」という言葉が流行っています
気持ちが落ち着いてすっきりしている様子を言うそうです
生きていればぶつかるいろいろな事象に惑わされないで、大局がみえる状態を「整う生活」と呼んでも良いのではないでしょうか
死ぬまでの時間をできるだけシンプルに考えると余計なことに振り回されるのは邪魔なだけ、無駄でしかないと思ってしまいます
気持ちを整えて本当に大切な事柄だけを丁寧に行なう生活を希望しています
ダウンサイジングは家計簿的な側面と精神的側面を併せながら、多くの場合は手探りで、進めていくことになると思います
五島列島縦断カブの旅は残念ながら来年に延期します
5月の連休明けに計画していたクロスカブで行く五島列島縦断旅でしたが、都合が悪くなり来年に延期します
5月中旬に実地指導が入ります。準備をしなくちゃいけないし、終わってからの仕事もありそうです
実地指導とは定期的な監査みたいなもので行政の人が現場でいろいろとチェックを行ないます。足りないところがあれば改善します
6月に入ると長崎は梅雨入りするのでバイクの旅は楽しくならないでしょう
カミナリ怖いし
で、次のシーズンは秋なんですが、長崎の秋には台風がつきものです
船も飛行機も欠航欠便はざらです
なので、また来年です
ダウンサイジング計画(1)
定年引退まであと1年と3ヶ月になりました
まだ、具体的にダウンサイジングの予定はありませんが、そろそろ計画を練って行こうと思います
奥様も3年半後には厚生年金受給可能ですので経済的にはなんとかなりそうです(年金予想夫婦で27万円)
しかし、現在の生活費は多分35万円以上になっていると予想します
これには住宅ローンや息子の奨学金返済なども入っていますので(おそらく8万円くらい)考え方によると実質的には3世代4人で27万円の質素な生活費と言えるのではないでしょうか
まずは純粋な生活費を20万円以下にしたいと思います
すなわち、①食費 ②水道光熱費 ③通信費 ④被服費 ⑤娯楽費 ⑥消耗品費で20万円です
一番先に考えないといけないのは⑤娯楽費でしょう
現在、アマプラ・ネトフリ・ディズニー+の動画配信サービスに加入していますので、この中から一つだけ継続し、残りは解約したい
今のところ残すのはアマプラです。2000円ほどダウン
サッカー観戦は地元チームの年間パスポートを夫婦で購入しています。2年後には単発の観戦で50,000円/年→30,000円/年とし、1,600円/月ほど節約したい
ゴルフ代は平日のみの薄暮プレーにすることで1回につき1,500円ほど安くなります
週一だと6,000円が浮くことになります。
しめて9,600円↓減額の計画です
次に③通信費です
親バカちゃんで娘の携帯代を払っているのですが(恥ずかしい)これを止めにします。2,800円
奥様の携帯は未だ格安プランになっていないので、これをpovoに変えることで1,000円節約できます
合わせて3,800円です
②水道光熱費も頑張らなければいけません。現在、50,000円ほどです
特に入浴にかかる費用が嵩んでいると思います
家族がバラバラに入浴するからです。酷いときは一人ずつお湯を入れ替えます
なんとか時間帯をまとめることで電気代と水道代を節約したいと思います
データがないから具体的な節約金額はわかりませんが10,000円は可能でしょう
最後に①食費です
おそらく月に7~8万円費やしているのではないでしょうか
夫婦で働いているものですから外食が多く、食材費よりも手間が掛からない選択をするので割高です
なんとか6万円まで引き下げたいです。(それでも多いと思う)
無職になるボクが週に2日、調理を担当することにします。ただしそれが節約に結びつくかどうかはわかりません
ここまででざっと4万円弱の経費削減です
それでも生活費は22万円になります。厳しいですね(娘から食費を取れ!)
大前提の「収入>生活費」は達成できそうなので、あまり無理をしないでダウンサイジングを実践していこうと思います
年齢が75歳を過ぎれば自然とお金がかからなくなるでしょう(希望的観測)
お弘法さん祭り
ボクが住む地域には「おこぼさん」という行事があります
正式には弘法大師祭と思われますが、弘法大師の命日を祀るという感じではなくて地域住民の健やかな生活を祝うという雰囲気で、全国で少しずつ形を変えて存在しているようです
ここいらの風習では女性が祠に集まりお供え物をして子供達にお菓子を配るだそうです
別名女祭りとも言うそうです
子供達にお菓子を配るのはおそらく「おせったい」だと思われます
wikiの空海のページを見ましたがはっきりとした記述はありませんでした
はっきりとしているのは空海の命日を祀る行事があって、たまたまボクの班に祠があるので班長として責務を全うしなければならないことですw
で、明日のおこぼさん祭りは中止することにしました
新型コロナ感染症がまだ2類であることを理由にしました
仮に開催したとしても参加する住民は多く見積もって3人です
おせったいを受ける子供は一人もいません(中学生が一人)
すでに行事としては成り立たない状況なのです
次の「おこぼさん」は8月になっています
その時までに現状維持して継続するか、形を変えて残すか、一切を終わりにするか決めないといけません
次の班長のためにもそうした方が良いと思います
仏教の事は良くわかりません
お釈迦様が菩提樹の下に寝そべって覚りを得た。例えば人と自分を比較するなとか、そもそも人も自分も個として存在していない共有の存在なのだとか
弟子達が尾ひれを付けて壮大な仏教になった
長い年月の間には偶にすごく頭の良い天才が現れて哲学的な倫理を解明するものだから心底信じ切ってしまう人も多くなるのだと思います
空海が天才だった事は間違いないでしょう
弘法大師祭りが地域に果たしてきた効果も少なくなかったと思います
だけど、これほど担い手が減ってはどうにもなりません
新しい開催方法を考えようと思います
NPO法人を作るとか
競争社会からの卒業
大学の頃に「小さくても一国一城の主になる」と夢を抱いた(以前も何度か書き込みました)
たまたま運が良くてその夢(本当に小さな有限会社)は叶えられた
ただ、ボクの脳みその中で「小さな会社」を作るというイメージが強かったので、20年を掛けても「大きな会社」に育てる事ができなかった
後輩から会社の規模で追い抜かれて、一時は悔しいという感情に溺れたこともあった
考えちゃダメだと思いつつも妬んだり自己嫌悪したり。。。
今はおかげさまで悔しくないし羨ましくもなくなった
やっとそんな感情から卒業することができそうです
定年とか引退などと表現していますが、ボクにとっては欲望(売上金とか純利益とか役員報酬とか)からの卒業です
欲しい物とか海外旅行とか、まだまだ完全に捨てきれていませんが、それらを手に入れるためにはどのくらいの努力が必要か?解ってきた
資本主義の社会の中でお金や地位や権力をモノサシにして必死で働いた
これらの物差しの基準で測ると、自分の中のゴールに50歳で到達した
もちろんもっともっとゴールを遠く高く設定する事は簡単にできる
だけどボクは思い留まってしまった
そこにたどり着いたら、また新たな目標を設定しなければならないだろう
競争相手がいる場合はゴールや目標すら自分で決められなくなる
そして資本主義の主人公であるお金から縛られる事になる
借金に対する感覚麻痺をおこさないと平静でいられなくなる
使えるお金は増えるけど、麻痺の程度も強くなる
ドーパミンで脳みそが溢れる
例えとして良くないですが、やっと性欲が枯れてきたみたいな感じです
若いときは好きな子を口説くためなら、それこそ死に物狂いで行動していました
当たり前ですが、もうそんな努力はしなくて良い
欲がなくなったのですから
やっと平穏な心を取り戻せそうです
昨日、年金請求手続きの封書が送ってきました