ボクの定年

還暦オーバー!今日もチャレンジ!

セミリタイア幸か不幸か時間がない

定年退職した諸先輩方のブログをみると、リタイア後のありあまる時間の使い方が悩みの一つだと書いてある。まだ完全なリタイアをしていないボクには想像ができない。自由な時間があればいろんなことが出来るんじゃない?ゴルフ、釣り、旅行、読書に映画鑑賞、クルマやバイクいじり。高齢者にプランターの花を届けるボランティアがしたい。

でも、実際に時間があると、いつでもできると思って何にもしなくなるのだそうだ。ホントかなあ。そりゃあ最初の1カ月くらいはぼんやり過ごすのかもしれない。だけどメシ食って寝るだけの毎日は絶対にもったいない。全力で遊ばなければもったいない。本当の真実をいえば、時間はない。あるように見えて実際はない。ゼロまでのカウントダウンが始まっている。それは明日かもしれない。

いま、ボクは忙しい。コロナで計画がずれた。一生懸命に仕事をしないと赤字が出る。本来ならば週に3日の出勤を予定していた。だけどなぜか毎日働いている。楽しみだった独りゴルフも小説執筆もできない。疲れて身体が悲鳴をあげているのに休めない。だぶんコロナのせいではない。きっとコロナが無くなっても忙しいままだろう。

だれかが決めてくれないと自分を首に出来ないだけ。諦めがつかないでいるだけ。月に数十万円を捨てようってんだから勇気はいる。それも自分の手で捨てなければならないのだ。うじうじして働いている間は貯金ができて妻はよろこぶ。ボクも少しうれしい。だけど大事なのは時間だ。

時間を最重要視したら、いまのボクは貧乏だ。

セミリタイア事業継承問題

先週末、月に1度の経営会議を開催した。たった3人の会議だ。

年商一億にも満たない極小会社でも、必死で運営してボクらは生活をしている。

一般企業と違い、介護サービス事業は大きな利益が望めないように設計されている。

コロナ禍の中で大幅な売上減にもかかわらず、全員で歯を食いしばり、わずかな利益を分け合った。

ところでボクは子育てを終了した。まだサポートが必要な場合もあるだろうが、子供は自立した。ボクの就労目的の一つが無くなったのだ。年金がもらえるようになれば、もう一つの目的である経済的安定も手に入る。

仕事というのは面白いことも辛いことも盛り沢山だ。人によっては辛いことの方が圧倒的に多いということもあるだろう。だけど目的のために我慢する。頑張る。努力する。親として、社会の一員として、専門職としての使命感が人々を仕事に駆り立てる。そうやって命を削って働いてきた。そしてそろそろ引退する。

仕事をする目的も使命感もすべて小さくなった今、ボクがそのまま社長で居続けることは会社のためにならない。退くべきだと決断した。使命感と頑張れる心身を持つ人に魂を込めた経営を委ねたい。

次期社長候補は2人いる。売上げ重視の現実派とコンプライアンスを大事にする理念派だ。どちらも必要不可欠だから、現状では一人の候補に引き継げる状況にない。事業継承は入口のところで暗礁に乗り上げている。とても難しい。

仮に候補を一本化できたとしても、つぎはお金の問題を解決しなくてはならない。社長は法人(会社)の連帯保証人になっていることが多く、わが社も例外ではない。1千万円ほどのちいさな借り入れではあるが、普通のサラリーマンが連帯保証人になることに対する心理的ハードルはそうとう高いだろう。株式の譲渡にもお金がかかる。バランスシートを読み解く能力がなければ価格の妥当性もわからないだろう。

 今月の経営会議も、会社にとって最も重要な事業継承問題はまたも棚上げされ、介護保険改正への対応といった目先の課題解決のためだけに消費された。

セミリタイア→お金の心配から解放された理由

現在61歳です。あと3年半で年金支給です。

還暦を迎えたとき、ちょうど老後2000万円問題が話題になり、ボクもけっこう焦りました。だって貯金ないし、年金額も平均以下だったから。

それで色々と勉強しました。投資、節約に関するさまざまな知識や税金のことなど、またお金が持つそもそもの価値について、本やYouTubeなどで広く浅く見聞きしました。

で、やっとお金の呪縛から解放されたのです。もっと早い段階で勉強していれば悩まずに過ごせたかと思うと、この1年半は長かったのか短かったのか。とにかく悲壮感や焦燥感はずいぶん少なりました。

自分の資産のたな卸しを行いました。

金融資産や不動産だけでなく心身の健康と労働可能時間およびその時給換算。また家族構成や現在の家計も整理してみました。そしたら結構あんしんした(笑)

個人年金の積み立てが素晴らしく優秀な資産となりました。積立NISAも始めました。だけど、それよりもお金の心配をしなくなった理由は別にあります。

高齢になればなるほどお金を使わない。

周りのご老人や自分自身の消費活動を観察すると、少しずつですが確実にお金を使わなくなっています。欲しいものが無くなるというより物を買う意欲が低下するのです。楽しい事よりも面倒くささが勝ってしまうのです。自宅でテレビを見ているのが一番楽です。

お金は死ぬまでに全部使うと決めた。

もうね、所持金ゼロで死にますよ。妻や子供には申し訳ないけど、あとは自分で何とかしてくれ。その分の配慮はしてきたし、何とかなるとおもう。きっと大丈夫。ボクはのたれ死んでも後悔がない。後悔しないほど残りの人生を楽しむ。そう決めたら気持ちは楽になりました。

酒もたばこもギャンブルも浮気もしません。

もともとお金がかかりません。じゃがいものコロッケで十分満足できる安上がりな人間です。ただし、趣味にはお金を使います。ポルシェを所有しました。ゴルフの会員権も買いました。バイクを買ったらすぐに魔改造します。魚釣りの道具も安くありません。それでも、酒とたばことギャンブルと浮気をするよりずい分安く遊べるはずです。

気が付いたら色々と安い。

平日が使えるのでゴルフも安い。シニア割引で旅行も安い。映画も安い。自炊が増えたら食費も安い。小さな車で構わないので維持費が安い。自宅のローンが終了する。子育ても終了。お中元にお歳暮も終了します。

あとはぴんぴんコロリを実践するのみです!

セミリタイア後のアルバイト

日曜日は福祉資格系の講師のバイトに行ってきました。

講師というバイトはリタイア後の仕事としてかなり有益だと感じます。

自分で授業をコントロールすることができるし、ペース配分も思いのままです。

これまでの経験や知識を披露することが許される数少ない仕事になっています(笑)

ボクの場合は理学療法士とケアマネの知識に加え、事業運営の経験も授業の合間に折り込むことができて、わりと楽に役割を果たすことができます。

もちろん最初の2~3回は緊張もしたし授業内容を深堀したり調べなおしたり、それなりに努力が必要でした。

しかし、慣れてくるとどこでどんなギャグを入れるとか、受講生の関心が高まる表現方法などが分かってきますので、あとは楽勝です。同じことを繰り返せばいいのです。それでも相手(受講生)にとっては、ほぼ初めての新鮮な話題になります。

どんどん余裕が出てきて、面白い体験談などで受講生とのコミュニケーションを図っていきます。いろんな人がいろんな事情で集まっているので、ふれあうことでさらに楽しさを増してくれます。また、2ヶ月ほどのお付き合いですので、おたがい善人のままでお別れすることができます。

報酬は具体的にはあかせませんが、月に10日も働けば食うに困ることはなさそうです。年金があればリッチな生活が出来ます。ボクはまだそんな一軍レギュラーを目指してはいるわけではありません。二軍で結構ですので月に5万円稼ぐことができたらハッピーです。しっかり受講生からの評判が良くなるように努力します。

もう一つ講師の良いところは、(以前にも書いていることですが)人前でしゃべる機会が増えることで、話し方のスキルが上がることです。見逃されやすい能力ですが、非常に有用です。むしろ話し方のスキル(=人に伝える技術)のほうが専門知識や経験よりも重要であるかもしれません。元教員とかYouTuberなどとても参考になります。乱暴な考えではありますが、専門知識は初心者向けの講師では100時間も勉強すれば手に入ります。1000時間かければスペシャリストと同等の知識が得られます。あとは伝え方です。

郷土歴史家とか家庭菜園園芸家とか健康ウォーキング指導員とか名乗ること自体は難しくないのです。

セミリタイアラーにとって講師は、可能性が非常に高い仕事のひとつになり得ます。

 

 

小説家への道のり

才能の世界だから、成ろうと思っても成れるものではないです。

だけど挑戦するのは自由だ。だれにも迷惑をかけないから。

そして、小説の印税が100円でも入ったら、その先の人生を「小説家」として過ごすつもりです。堂々と。

時間がない。

現在、起業した時の日記形式の体験談を5万文字ほどに編集しています。校正の段階ですが、次から次に手直ししたい箇所がでてきて、予定が大幅に遅れています。ただでさえ名ばかりのセミリタイア生活で、時間が足りない。そもそも集中できる時間は1日4時間くらいですので、絶望的に時間がない。はやいとこ社長業を引退して4時間をまるっと執筆に使いたい。

第二弾の作品は8千文字でいき詰っています。そうです、エロ小説です。これは無理かもしれない。小さいながら需要はかならずある、と見込んでエロジャンルを選んだのですが、ボクは少々齢をとりすぎました。

エロパワーが足りない。

 若い頃は、自分の妄想でボクは完全に痺れていました。「俺、最高!」すごいパワーのエロ妄想ができたのです。だからそれを文章化することはそれほど難しいとは思いませんでした。絶対的な自信があったのです。あれから45年、いつでも再生できると思っていた妄想は京都の上等なお吸い物くらい薄くなっていました。文章もこれは抒情詩なのか?と疑うほどほのぼのとしています。ゆるキャラ同士がじゃれあっているだけです。次々と湧き上がるマグマのようなリビドーを取り戻すことはもうないでしょう。

そっとペンを置くべきか?

ボクはあきらめません。着物に羽織の海原雄山スタイルで銀座のクラブで豪遊するまでは。うそです。田舎のスナックのほうがたのしいです。エロはむりだとしても、ボクにも戦えるフィールドがどこかにあるかもしれません。ゆるキャラの激情とか。とにかく、印税生活をめざして書き続けます。現実の生活は小説のためのネタ作りです。面白かったら良いのです。

まずはキンドル・ダイレクト・パブリッシングに出稿です。

社会貢献という罠

CSRという言葉がある。

「Corporate Social Responsibility」の略語で、日本語に訳すと「企業の社会的責任」という意味になる。環境活動、ボランティア、寄付活動など、企業としての社会貢献の活動を指すのが一般的だ。素晴らしい考えであり、実際に数十億円(トヨタなどは数百億円)をかけて活動している姿には頭が下がる。だけどボクはこの「企業の社会的責任」という言葉を額面どおりに受け入れきれずにいる。

 企業のマーケティングのひとつに利用されてしまっていることが多いからだ。社会の事を真剣に考えている優秀な会社が作っているうちの商品を買ってください。ということ。数十億円を使ってもそれ以上に売上を増やすメリットがあると計算している。わざわざプラスチックごみのリサイクルをやるよりも、自社の給料を増やし、非正規労働者を全部正社員にすることのほうが社会的責任を果たしているはずだ。(プラスチックごみのリサイクルはやらないほうが良いという意味ではない)

ボクがデイサービスを始めた時は、まだ営利企業の参入は少なかった。ボクは地域福祉に資するつもりで起業しましたが、世間は「儲け主義だろう?」としか捉えてもらえなかった。「老人を飯のタネにするなんて」と言われたこともある。くやしくて、過剰サービスをしたり職員の給料を地域で最高水準に引き上げるなど、むだな努力を重ねています。CSRへの批判とはずいぶん矛盾しています。

そんなおバカなボクが最近やっとわかってきたことがあります。会社(企業)の価値はその会社が評価すればいい。最低限、悪いこと(脱税とか犯罪とか)をしていない限り、会社は活動する事で何らかの価値を創造します。比較して数字に変えることはナンセンスです。それは個人が他人と比較して喜んだり悲観したりするのと同様です。ひとりひとりが(一社一社が)何らかの形で社会に貢献しているのだと思います。

ボランティアをしたければそれもよし。税金払うだけで精一杯ならそれも立派に貢献しています。あかちゃんも老人も安心して生きていけるだけでとても素晴らしい社会です。(まだ、もう少しですが)「俺だけは損をしたくない」なんて考えずに社会とともに生きて行くだけで、社会貢献はりっぱに成されています。なぜならみんな社会の一員だから。

デイサービスの介護は面白いよ

介護の仕事は3Kだから仕事にしたくない。

世の中的にはほぼそんな風潮になっています。

だけど32年間この仕事をしてきた結果、デイサービスに限って言えば、かなり楽しい仕事だと思います。

何故なら遊んでいて良いからです。

誤解を生む表現かも知れませんが、遊ぶことは生きることに繋がるからです。

ごくまれに、まだ就業しなければならないご利用者もいますが、介護保険でデイサービスをうける人は、もう仕事をしなくてもいい人たちです。

教科書的には地域の中で組織の中で家庭の中での役割を見つけましょう。見つけてあげましょう的な意見もあります。

役割を見つけるのは何のため?役割を与えるのは何のため?

自立を促すためです。

逆に言えば自立に向かうのなら遊んでいても良いのです。ボクらは遊びを支援しても良いのです。

費用や報酬がないのだから、遊びと役割の境目なんてあるわけがありません。

ご利用者が楽しく自分で選択できることこそが自立です。

遊んでどこが悪いのでしょう?

日本人は真面目すぎるので、遊んでいたら仕事をしていないように感じて、勝手に罪悪感を持つスタッフ(就業者)もいるでしょう。

利用者サイドでも、しっかりリハビリをやって日常生活動作(ADL)を取り戻さなければならないといった考えから筋力訓練に励み、遊びなんかもってのほかだと怒り出す人もいるかもしれません。

スタッフもご利用者も一生懸命すぎるから、だんだんデイサービスが楽しくない場所になっていくのではないでしょうか?

たのしい事をやっている時は自然と身体も心も動きます。

効果的なリハビリテーションになり得るはずです。

そこで介護職・リハビリ職の技量が問われることになります。

思考停止した機能訓練を続けるのか、世間が許す範囲で遊びをリハビリに繋げるのか。

花札でも卓球でも庭仕事でも魚釣りでもサッカー観戦でも筋トレでも。

自立を支援するために、いかにご利用者と一緒に楽しむか?

精一杯考えて、精一杯遊ぶ。

デイサービスの仕事はおもしろい仕事だと思いませんか?