ボクの定年

還暦オーバー!今日もチャレンジ!

ゴルフという病

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日曜日にゴルフに出かけた。スコアは107だった。その晩、悔しくて何回か目が覚めた。夢の中でフォームの修正をしているのです。そして夢の中でも上手くいかずに目が覚める。ベッドから這い出てティーショットのフォームを確認する。2度3度繰り返してまた眠りにつく。妻が呆れた視線を送るが無視である。

実は107は特別に悪いスコアではない。調子が悪ければ当たり前に叩く回数だ。その前のゴルフは94だった。そんなもんである。悔しがるほどの腕前ではない、そこら辺のボンクラゴルファーなのだ。だけどボンクラだろうとド素人だろうと、自分に納得がいかない。それがゴルファーという病なのである。納得がいかない心境の裏側には、自分は出来るはずだといううぬぼれに近い思い込みがある。芝生の上にある動かないボールを効率の良い道具を使って叩くだけの簡単なスポーツ。頭の奥底でそんなことを考えているのかも知れない。結局、ラウンド中にそれが間違いであることを思い知らされる。それも徹底的に。なんと複雑なスポーツだろう。

別に遊びなのだから楽しく過ごせばいいではないかと時々家族の者から忠告を受ける。楽しくないわけではない。むしろ楽しい。でも楽しく見えないらしい。勝ち負けではなく自分と対話し自分と闘うのがゴルフである。スポーツをする喜びの中に技術が向上する嬉しさがある。ゴルフはまさにこのスキルアップが楽しいスポーツである。逆にスキルダウンした時の苦悩は仕事で後輩に追い抜かれた時のように辛い。それだけは避けたい。だから努力する。がむしゃらに努力する。

最近、練習場で飛距離が200yに届かない。普通にスイングすれば200yは可能なはずである。遠心力を使ってフェースの真ん中あたりに当てるだけで間違いなく200y飛ぶように設計されている。届かないという事は普通じゃなのだろう。無駄な力みやギクシャクとした体の捻転が飛距離を落としている。いわば引き算をしているかのようだ。努力が目標への阻害要因になっているのである。そもそも無理に200yが必要なわけでもない。150yを2回打てば300yになり、比較的長いホールでも430y程度だから残り130y。ヘボゴルファーには60yのコントロールショットとグリップを少し余した8番アイアンでグリーン中央狙いは難易度的にそんなに変わらない。しかしそれでは自分が納得しない。220y地点から180yを打って残り30yをピンに絡めるという上級者のルートでないと納得しない。刻みに刻んでスコアが自己新の89が出てもまったく楽しくない。それがゴルフという病なのである。

なんとか普通の、当たり前のスウィングをしたいと思い、その滑らかな動きを常にイメージする。ボクみたいにジジイであればお手本は岡本綾子だ。幾度となく頭の中で彼女のスウィングをリプレイし、たまたま手に持っている雨傘で再現したりする。愚かである。キョロキョロと周囲の状況を確認した後、一瞬で集中ゾーンに入る。目の前にあるのは駅のプラットホームでも薄暗い駐車場でもない。さわやかに晴れわたった1番ホールのティグラウンドなのだ。その時、ドーパミンはいかんなく放出され脈拍はおおいに上がりついグリップに力が入る。これではいけないと一旦アドレスを解く。完全なバカである。でも、ボクが悪いわけではない。すべてゴルフという病の症状にすぎないのだから。

ゴルフの練習をしながらセイヤのことを考えた

人間は悲しい生き物です。男もすべからく悲しく切なく生きています。

今朝、セイヤのニュースを知りました。バカだなぁと思いながら切ないなぁと感じています。全ての男がそうであるかどうかボクにはわかる筈もありませんが、多くの若い男子は性欲に支配されているといっても過言ではありません。はい、女性には分からないと思います。隙あればイタシたいと考えるのが健康な男子なのです。女性の読者様には不快な事実であると分かっておりますが、どうにもなりません。ただ、ほとんどの男性は理性の力で本能をねじ伏せ性欲などこれっぽっちも感じていないフリをしています。理性の力は偉大です。

背が高くて頭が良くて顔が爽やかなイケメンはまだ救われます。彼のリヒドーを受けとめてくれる優しい女神が現れるからです。とても自然なことです。行為は愛という美しい営みになるからです。尾崎豊が「軋むベッドの上で優しさを持ち寄り・・・」と歌っていますがそれはそう思わせたいからです。若い頃のそれは奪い合いです。一度奪い合ってからお返しをしていくというのが正解です。はい、申し訳ありません。女性の読者様にはご迷惑をおかけしております。本当に不快を感じる人はここまで読まずに離脱していますよね。いつでも直ぐに離脱できるのですから。もし、これが双方向性コミュニケーションツールのZoomであったら、途中で意思を表すことだって出来ます。「やめて下さい!」と。ボタンを押せば見なくて良いのです。わざわざ証拠の写真まで保存するのは何故でしょうか?

 

事実がどうであったかはボクには全くわかりません。なので一方的にセイヤを擁護するのは良くないことかも知れません。だけど背が低くて頭もそんなに良くなく顔がブサイクなセイヤは自らの深い所から湧き出す欲求と戦っていたのだと思います。彼の場合は理性が負けました。誰も受け止めてくれない彼のマグマが理性を押し潰したのでしょう。でも、頑張れ!きっといつか君の女神もあらわれる。ボクはそう信じているから。

ゴルフの打ちっ放し練習場で50球だけ叩いてきました。セイヤの気持ちを考えると切なくてボールを打つ時に掛け声をかけてしまいました。セイヤー!

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妻への説得失敗<社長引退までの1500日>

「私は家にじっとしているより、仕事している方がいい」妻は自らの引退を否定した。一週間、説得方法を考えて、満を持して話し合いを行ったが、あえなく空振りを喫した。「ご利用者さんとの交流は楽しく、意味のある時間を過ごすことができる」そう言われると、もうボクが何を言っても言葉が空虚に感じる。わかりました、では時間をかけて問題点を解決していきましょう。

問題点とは妻と社員との人間関係である。昭和のメンタリティを持つ妻にとって上司が部下を指導するのは当たり前で、何度も同じ指摘をうける社員に対して粘り強く指導を重ねることは健全であり正義なのである。時代に合わないと数年前から何度も何度も話してきた。そして少しずつ妻の対応も変化してきた。しかし、残念なことに妻の変化よりも時代の変化の方が速い。努力はしているが時代に追いつくことは難しいように思える。

半月ほど前、妻はある御利用者とトラブルを起こした。ボクが引退を勧めるきっかけになった出来事だ。その後、サービス管理者にも手伝ってもらって状況を確認した。原因は妻の配慮に欠ける発言でもあったことは否めない。しかし実はそれ以前にトラブルになるような伏線が敷かれていた。ある女性社員が妻への不満を当該利用者に吹き込んでいたのだ。御利用者はいつも甲斐甲斐しく介助してくれる女性社員の助けになろうとして妻に対して過剰に反応したようであった。

このような状況を見てくると、もう妻が可哀そうに思えてくる。「楽になったらどうなん?」と声をかけたくなる。君は充分頑張った、そろそろ美味しいランチ巡りでもしたらどうかと思う。だけど妻の表情は暗くない。能天気なのか根っからポジティブなのかそれともメンタルが相当強いのか、ボクには分からない。妻を守る方法はあるのか?そもそも守る必要があるのか?会社はだれが守るのか?結局、結論は出ないまま、妻は仕事に復帰し、見せかけの安寧が横たわる。

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社員との付き合い方がわからない<社長引退までの1500日>

ボクは宗教を信じない。宗教はすでに人々に幻想を抱かせる能力を失っているからだ。

「サピエンス全史」のヴァル・ノア・ハラリ氏は、認知革命が集団で共有する虚構を創ることを可能にした。そのことで多くの知らない人間同士が共通の幻想(お金や宗教)を信じてうまく協力することができるようになったと書いている。しかし、IT革命が起きている現代では虚構はすぐに見破られ、一つの価値観を浸透させることはムリゲーに近い。

会社組織もどこか宗教に似ているところがある。社是などという使命ややりがい等という形がない価値観ををモチベーションに変化させ、一体になって目標に向かう。こう書くだけでそれがほぼ虚構であることがわかるであろう。会社は滅亡に向っている。

ボクが宗教を信じないという事は自分の会社の在り方にも疑問を持っているという事になる。介護事業はご存じのとおり超労働集約的事業である。人がいないと成り立たない。実際、法律で人員基準が定められていてデイサービスは売り上げに対する人件費率が65%ほどになる。訪問事業では70%をゆうに超える。人をいかに動かすかが事業成功の大きな要素であるのは間違いない。そしてそのためには前述の幻想が必要なわけである。だからモチベーションが高い会社とそうでない会社とでは内容に雲泥の差がつくことになる。経営者は「地域社会に貢献している」「これから新しい介護の形を想像していく」「高齢者の笑顔を支えるのは自分達だ」と介護事業の必要性と意義を、社員に向けて発信している。しかし、一定数の社員は「労働力をお金に換えているだけ」「会社の発展に貢献するつもりは1mmもない」と思っている。会社が利益を増やさないと社員の数や給料も上がらないという事を時間をかけて説明しようものなら、「洗脳教育」と断じられてしまう。経営者が悪いのではない。時代が動いているだけなのだ。

ハラスメントが怖い。受ける側ではなくて加害者になってしまう事が怖い。職員が退社するときは頭を下げて労動に感謝するようにしている。それでも何時、加害者に仕立てられるか分からない。法律で決まっていることは法律を守りさえすれば逆に法律は自分を守ってくれる。しかしハラスメントは心の問題だから明文化された「やっちゃいけない事」は存在しない。いわばノーガード状態だ。時々、ボクもお金のためだけに経営しているのだと考えたくなるのを無理やり抑え込んでいる。

 

ボクはボクが必要なくなるように努力して、そろそろ要らなくなりそうなので、結果、邪魔者扱いされている。

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死に向かい合う

ボクは孤独死は怖くない、というか孤独死なんて当たり前だと思う。少子高齢化はもうほとんど避けられないし独居高齢者は増える一方だ。医療体制がこれら独居高齢者の安否確認と医療的手当を出来るわけもなく、どう考えても一人で死ぬ人は増え続けます。孤独死は当たり前の光景になるのだ。

自分の事としての死だけは考えない。考えたくないのは分からないでもないですが、現実を見ることも大事ではないか。人間である以上致死率100%なのだから。

孤独な死には何故かネガティブなイメージがついて回るが、ボクは孤独死の何がネガティブなのだろうかと思う。周りに家族がいれば幸せなのだろうか?死んでしまう間際に幸せもないだろう。もう周りに誰がいようが余裕ゼロでいっぱいいっぱいなんじゃないの?だってもうすぐ死ぬんだから。

 

作家の佐藤愛子さんは『人生は美しいことだけ覚えていればいい』と書いた。

ボクは『人生は美しいとだけ覚えていればいい』と思っている。

ああ楽しかったな、やっぱり人生は有意義だったなと思って死ねたら最高だ。それが孤独死だろうが病院での最期だろうが大きな問題ではない。自分の人生を肯定出来れば、それ以上何を望むのか。

死ぬのが真夏だったら死体発見までにそうとう腐敗は進んでいると思う。その時は申し訳ないけど薬品かなんかぶっかけてなるべく処理しやすいようにしてください。多少乱暴に扱っても、もうボクはそこに居ないから気にしないでいいです。でも、あと5年もすると生体センサーを部屋に設置するようになるだろうと思う。死んだらなる早でお知らせできるように努力します。

 

60歳になると脳細胞も随分損傷して、生への執着とか死への恐怖の感覚が鈍ってくるのかな?自分から死に向かうことはないけど、あっちからやって来たら『面白かった人生をありがとう』と感謝をしたい。

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書評 <定年後のリアル>

このブログではアクセスを集めるのはもう無理だなと思い始めています。それじゃあ別にサイトでも作るかと思ってテーマ候補の『定年後』について書かれている本を数冊購入しました。その中で面白かった(新たな視点を与えてくれて勉強になった)のが、この本です。

失礼ながら著者の勢古浩爾さんを存じ上げていなかった。「まれに見るバカ」というベストセラーがあるそうです。バカの代表としておそるおそる読書感想を書くことをお許し頂きたい。

 

勢古さんが61歳くらいの時にこの本を書かれたようです。まあ定年直後と言ってもいいのではないでしょうか。読み出した頃は文章にエネルギーを感じました。文脈とは正反対なのですが、おめえの考え方を改めてやるよとでも言われているかのような気分になりました。主張する考えを押し付けるのではなく、その逆で、正解なんてないんだよ。それを血眼になって探している風態はバカ丸出しだなwよくあるニヒリズムかとも思いました。それに、あと4年のうちに月5万円を稼げるようになろうと思ってジタバタしている自分がなんとなく惨めになって来ます。ヤな本買ってしまったなと思いましたがニヒリストの老後にもまた興味が出てきて、結局一気に読みあげました。そして終盤に差し掛かった時にようやく勢古さんの伝えたかったことが分かってきたのです。けっして虚無主義ではなくこれは勢古さんの優しさと愛に満ちた文章なのだと。何も出来なくても、何も持っていなくても1日1日を好きなように生きればいいさと囁いてくれる。同年輩の仲間に送る暖かいメッセージなのだと確信しました。しかし彼は最後まで、こんな本には大した意味はないよと書き終えています。なかなか良い感じのオッチャンかも知れませんね。

 

あと気になったのは、勤めておられた洋書輸入会社とはどんな会社だったのかなぁということです。

もう一冊ほど勢古浩爾さんの著作を読んでみようと思います。

amzn.to

 

Rakuten miniが届かない

申し込みを済ませた楽天mobileの端末Rakuten miniは今のところ配達される気配はありません。申し込み時に「お届けは6月10日になります」という表示は幻だったのか?「6月31日までにアクティベーションして頂く必要があります」というのも幻であって欲しい。まぁね、楽天の全部が幻でも特に困らないのだけど。

 

ところでそのRakuten miniが電波法違反の疑いだそうです。

https://newswitch.jp/p/20325

一体どうなるのでしょう?それはそれでドキドキして楽しいかな

アクティベーション出来ますかね?

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