公共の心
また、ボク自身の恥かしい過去の出来事を書きたいと思います。内容もどちらかと言えばどうでも良いことです。
小学校2年生の頃だったと思います。学校からの帰り道、その頃はまだ田んぼがいっぱいあってその畦道を歩けば家までの距離をぐっと短くすることができました。その日もショートカットしようと畦道を覗くと、そこには真っ赤な彼岸花がたくさん咲いていました。まるで田んぼの区画を赤いサインペンで塗りつぶしたように赤い花で畦道が彩られていました。綺麗だとは思いませんでしたが、すごいと思いました。しげしげと彼岸花を観察した後、ちいさな木の枝を刀がわりに彼岸花を切ってみました。彼岸花は丸く大きな花の部分が、約30cmほどの茎の上に乗っかっています。茎はほぼ垂直に立っていて葉っぱは下の方についています。ボクが切ったのはこの茎の部分で、硬くないのに花の重さにやっと耐えて支えているような少しはかない感じがしました。そして勢いよく振りぬかれて茎が切断され、花は真っ直ぐストンと土の上に落ちました。この花が落ちる様子が小学校2年生の僕には何故だかとても美しく感じてしまったのです。本当に真っ直ぐに少しも傾かないで下向に移動したのです。もう一本、切ってみました。今度は小枝の振り方が悪かったのか、少し傾きながら地面に落下しました。精神を集中してもう一本切りました。まったく綺麗に彼岸花の丸い赤が静かに落ちました。もう夢中です。いかに美しく花を落とすか、そのことに集中していました。そして何本の彼岸花を切ったのかは覚えていません。その時、近くで農作業をしていたおじさんに声を掛けられました。声を掛けられたというより、怒鳴りつけられました。「なんてことをしているんだ!」「どうしてそんなことをするんだ!」ボクはビックリするだけです。そして何をしているのかと何故しているのかを一生懸命おじさんに答えました。「花を切っています」「カッコいいからです」そんな答え方をしたと思います。農家のおじさんもボクの答えにすこし戸惑っているようでした。そしてゆっくり話してくれました。「いいか坊主、この花は1年に1回しか咲かない。そしてこの花が咲くのを待ちわびている人もたくさんいる。お前はそんな人の気持ちを踏みにじったんだぞ」もっと色々と説教されたと思いますが、覚えているのはそれだけです。だけど、おじさんが言いたかったことは良くわかりました。良くわかるように話してくれたおじさんの愛情を感じました。
翌日、ボクはその事を学校の先生に話しました。「もうしません」的な話です。先生は「それは公共の心というものだよ」と教えてくれました。言葉は難しくて良くわからなかったのですが、いろんな人を大事にする気持ちが心の中に生まれたと思います。それからずっと忘れたことはありません。