横川駅裏エレジー
JR横川駅は広島駅から西に二つ目の、山陽線と可部線の接続駅である。
今は近代的な駅舎に生まれ変わっているが、40年前は昭和初期の面影が残る庶民的な駅だった。
特に駅裏の商店街はドヤ街のような雰囲気があった。
ちいさな一杯飲み屋が乱立していたが、どこの店も自分とこの看板よりも『賀茂鶴』や『ニッカウヰスキー』などの商品の宣伝看板のほうが目立っていて、その界隈は全体で一つの飲み屋であるかのような錯覚があった。
店の玄関先に平気でゴミ箱を置いていることからも、不衛生であることが駅の利用客や周辺住民からは暗黙知だったように覚えている。
大学の4年間は可部線沿線にアパートを借りていたこともあり、この横川駅をよく使った。
低身長で顔が不細工なオトコがオンナにモテるためには権力と財力を得るしかない。
今ではそんなことすら不可能になっているが、40年前ではそれでなんとかなった。
必死に努力すればモテることができた。
もっともボクの場合はお金もなかったので、残された手段は権力=集団の中心で自分の魅力をアピールすることしかなかった。
皆のために働く。良い人を演じる。喜んで貧乏くじを引く。
すべてモテたいからだった。
21歳の健康な男子としては、むしろごく当たり前な欲望だったと今でも思う。
それでもボクのようにあまりにもストレートな行動基準をつくる人間も少なかったので、すぐに結果を出すことができた。
結果というのはモテではなくて、集団の中心になるということ。
大学生のサークル、構成員250名の代表になった。
頑張れば頑張るだけ、女子構成員の注目を集めることができた。
でも、彼女は出来なかった。
後輩から見るとモテていたそうだ。自分にはまったく自覚がない。
女子はいつもボクを遠巻きに眺め、チヤホヤしてくれたけど、目を付けた可愛い子に手を出そうとすると、蜘蛛の子を散らすようにボクから離れていく。
デートまでは行けるけど、深い関係になる女の子は皆無だった。
どうしても恋人がほしい。いや、あからさまに言うとセックスがしたい。
モテなかったのは、きっとそんなドロドロとした内面が、分厚くて不細工な唇の隙間から垣間見えていたんだろう。
あの日もボクは懸命に自分勝手なリヒドーと向かい合い、行動していた。
いわゆるお嬢様大学と言われる女子大で、知り合いの知り合いという女の子と知り合うことができた。
ちょっと不思議系の女の子だった。
けっして美形の部類ではなかったが、丸い顔に悪戯そうなくちびるがコケティッシュに感じられた。
すぐにボクの事が好きだとはっきり通告された。デートもまだなのに。
サークルのイベントの帰り道、打ち上げで安い酒を飲んだからか、なんでもできそうな全能感を感じていた。
そして公衆電話からその子を呼び出した。
数時間後、広島駅で彼女と別れ、可部線に乗り換えるために横川駅に途中下車した。
なんだかむちゃくちゃ切なくて、自然と涙がこぼれていた。
なんでこんなに悲しいのか、自分でもわからなかった。
駅の裏に出て『賀茂鶴』をコップ一杯だけ飲んだ。
ものの10分もかけずに酒を流し込み、店を出たボクは確かに酔っていた。
駅に向かって数十歩あるいたところで、強烈な嘔気に襲われ、そのまま電信柱の陰で吐いた。
涙と鼻水とゲロがぐちゃぐちゃになって、みじめで最低だった。
自分の欲望は達成した。だけど最低な気分のほうが圧倒的に心を覆っていた。
なにか大きくて大切なものを壊してしまった。
湧き上がる欲望が憎くて堪らなかった。
顔をあげると、焦点の合わない視野のなかで、ぼんやり滲んだ赤ちょうちんがゆれていた。