初老時代 セミリタイアライフ

還暦オーバー!今日もチャレンジ!

NHK「あるひきこもりの死」を観た

ようやく解りはじめていたボクなりの「幸せの形」がまた崩れてしまう。番組を観終わった直後の感想である。それほどボクにとってはショッキングな内容だった。社会生活で躓いたあとに何十年と自室にひきこもり、親の年金という収入がなくなることで死に至る。なんとも救いが得られない辛い内容だった。どうして助けを求めなかったのか?本当に自身がえらんだ生き方だったのか?テレビから離れ、ボクは風呂の中で1時間ほど考え悩んだ。

ボクの考えは、働くのが無理になったら(収入を得る能力がなくなったら)生活保護を申請すべきという単純なものだった。そこに人間関係とか自分自身のプライドとか全く考慮していなかった。ボクがもしそうなったら(貯えもなく働くことができなったら)迷わず申請する。プライドなんて最初から持っていない人間だ。だけど皆がそうではない。親に対する引け目や社会に対する気おくれから単純に「助けて」と言えない人も多いと思う。社会的にも経済的にも自立するためにあれやこれやと挑戦する。うまく行く事もあればそうでない時もあるだろう。頑張った挙句にどうしようもなくなったら、それは社会全体で支えあい、再チャレンジを期待する。社会の使い方として健全と考えてきた。支えてもらって当然ということではない。頭をさげてお願いするだけだ。それで生き延びることができるのなら、その後に支える側に立つことだってあると思う。

「心が潰れた・ぺしゃんこになった」番組中の言葉がボクの心に刺さった。誰にでも起こりうる精神的な状態だ。程度の差はあると思うがボク自身も何回か経験がある。逃げようのない苦しさだ。その時に「もう死にたい」と思うか「なんとかしたい」と思うかで行動が変わってくる。ボクはその都度、遠くで汽笛を聞きながらでも「なんとかしたい」と思った。だけど本当にもう終わりにしたいと思ってしまう人は必ずいる。まだやれる事はいくつもある。だけど頭を下げたり這いつくばったりしながら生きたくない人。これも一つの選択かもと思う。それは非積極的な自殺と受け止められても仕方がない。ただ、生きたくない人に対して頑張って生きろという言葉を投げかけるのはある意味虐待だと思う。それくらい辛いと思う。

ボクらにできることは頑張って稼ぎ、経済的に支え、生きていれば輝く未来もあるさと遠目で見せることくらいだ。