他人の命のために人生をドブに捨てましょう
ステイホームと最初に聴いたとき、飼い主が飼い犬に「じっとしていろ」「犬小屋に戻れ」と言っているのかと勘違いをした。
「あっボクらのことなの?」
ちょっとした違和感は残ったけど、命を守るために皆で我慢しようという意見には心から同意した。「じっとしてます」
ボクは宗教を信じない。だけど宗教の必要性は認めている。
一緒に祈ったら一緒に救われるんじゃないのかな?と思わせてくれる。思わせるだけだけど。
人間の上に神様がいてくれることで、人間は客観性を得ることができるだろう。
神様の存在が動物や人間の命より価値があるとすれば、人間が世の中を支配している唯一価値のある命だという幻想に捉われないですむ。
人間は死ぬことを恐れる。怖れることは生きるために必要な能力であり、脳や情緒が発達した動物である証だと思う。
死を軽んじて書くと命を冒涜していると非難される。それはみんな自分の都合の良いように死を認識しているだけだ。
TVでインタビューを受ける90歳近い老女は大きなマスクとおおきなほっかむりをして東京から来たインタビュアーから自衛していた。
感染者が見つかった団地では自分の感染リスクを少しでも減らすために張り紙をしたり石を投げたりして感染者を追い出すことに成功する。
動物の一種類として理解できないことはない。
老人は当然脳も老化している。ほとんどの場合は論理的思考をつかさどる新皮質から老化が始まる。微細な脳血管が梗塞を起こし脳細胞が死んでいく。
新皮質の奥にある大脳辺縁系は生命維持や本能行動をつかさどる。もともと新皮質に抑制されていた本能的な情動が表に出やすくなる。
生き残るためには石を投げることなど造作ない。
経済の死は人生を台無しにしてしまう要素を孕んでいる。
すべてをかけて事業に取り組む人もたくさんいます。基本的に自分のためです。
体力のない小さな事業の2~3か月は、その事業に関わる人間の人生を狂わすパワーがあります。それでも飲食をはじめ旅行業や娯楽業の人達は要請に従います。破滅の恐怖と闘っています。
自分以外の誰かの命のためです。
僅かなリスクを避けるために石を投げることも厭わない誰かのために。
自分を犠牲にして他人の命を守りましょう
そしてステイホーム