台風19号の夜
今週のお題「激レア体験」
こんばんは。元気な60歳こもしんです。
命をかけて患者さんを治療する医療従事者を心から尊敬します。
簡単に命をかけるという言葉を使っているわけではありません。こんなボクにも他人のために命をかける瞬間がありました。
平成3年に発生した台風19号を覚えているでしょうか。列島を縦断し特に東北地方では「リンゴ台風」の別名で呼ばれた最低気圧925hpaのバケモノです。
その時ボクは中規模な病院に理学療法士として勤めていました。その日は夕方から雨足が強くなり、事務長から病院の施設警備のために病院に泊まり込んでくれと要請を受けました。
自宅も心配ではありましたが、停電装置や患者さんの安全を考えると泊まり込みが必然だと考えました。ボク以外にも7~8人が泊まり込みにやってきました。
その時、決死の覚悟があったのか?
台風のエネルギーは完全に予想を上回っていました。病院の近くの民家の屋根が丸ごと飛ばされていました。風速は70m/secを超えていたと思います。今まで経験した台風の数倍の威力でした。
身の危険を感じ始めていました。鉄筋コンクリート造りの病院の建物自体もきしみ音が鳴りだしていました。そして建物の中で一番強風の影響を受ける第二病棟の3階の角の部屋が危なくなってきたのです。
病室の窓はまあまあ大きめのアルミサッシとガラスでできています。そのガラス窓が風を受けて4~5cmたわんでいるのです。そんな光景を見たのは初めてでした。もういつガラスが割れてもおかしくない状況に見えました。部屋の中には4台のベッドの上に寝たきりで動けない患者さんが4人いらっしゃいました。
部屋は重い吊り扉で廊下と仕切られており、ボクらはその扉を全体重で抑えながら中の患者さんの救出のタイミングを見計らっていました。
扉を開けると空気が廊下に動いてガラス窓の崩壊を助けてしまいます。少しだけ風が弱まったタイミングで一台ずつベットごと救出していきます。
そして最後の一人になった時、ついにガラスが割れました。7人の男が吊り扉を必死に抑えても抑えきれないほどの強風が襲い掛かります。
その時、誰かが「行くぞ!」と叫び4人が部屋に飛び込んでいきました。ボクはたまたま1人目と3人目の人を救出して扉を開く役割でした。開けた瞬間、病院の廊下は暴風の通り道になりました。
中に入った4人がどうやって患者さんを救出したかは分かりません。とにかく廊下に救出し、7人力を合わせて吊り扉を抑え込みます。自然とみんな大きく掛け声を掛け合いながら耐えきりました。
決死の覚悟は必要だったのか?
割れたガラスはすごいスピードで飛び散ったはずです。4人は間違いなく命の危険を感じながら飛び込んだのです。寝たきりの老人を救うために命をかけたのです。
ずっと後になってボクはその時なぜ5人目として飛び込まなかったのかと想いを巡らせることになります。扉を開けるのは2人いればできた。ボクは行こうと思えば行けたはずだった。覚悟が足らなかったのかもしれません。単に考える余裕が無かったのかもしれません。
これがボクが他人を守るために命をかけた瞬間です。現実の行動としてはかけていないんじゃないかと怒られそうです。でも、順番がボクであれば間違いなく飛び込んでいます。それ以外には考えられませんでした。
ボクの経験は、今奮闘している医療関係者に比べたら本当にちっぽけな経験です。だからこそ彼ら、彼女らに尊敬を念を抱くのです。簡単な事ではないのです。