心理学的リハビリテーション
こんばんは。元気な60歳こもしんです。
世の中はどうなっていくのでしょう?もうボクにはわかりません。ただ、自分の信じる道を歩き続けるだけです。
昨日は自給自足も匂わせた農業の話を書きましたが、その流れで「ぼくはお金を使わずに生きることにした」という本を読みました。面白かったです。ただ、ビーガンという考え方はどうしてもついていけません。論理的にも破たんしているのではないでしょうか?
話は変わりますが、日々リハビリテーションの現場では技術や理論では解決できない場面に遭遇します。
運動したくない
今日はやる気が出ない
自分には向いていない
今まで生きてきた信条に反する
お前なんかにわかるものか
どうしてこうなったか理解できないので活動できません
どうせ治らないんでしょ?
とにかく辛い
もう死んだっていい
生きていたって仕方がない
早くお迎えが来ないかな
まだまだあります。
こんな時にリハビリテーションの専門家として何ができるのか、いつも悩みます。丁寧に向き合うしかありません。
基本的には本人の意思を尊重します。だけど、死にたいって言ってる人にああそうですか、御自由に!とは言えません。そもそも本人の本当の意思では無いことが多いのです。簡単に言うと嘘をついているケースがほとんどです。助けを求めているのです。
だったら簡単では?と思うでしょうが、ここからが本当に大変なところです。
ご利用者様は簡単に解決されては困るからです。
世界で一番不幸なこの私が、若造の一言ですぐにポジティブになっちゃたら私の尊厳はとても軽いものになっちゃうじゃない?そんなの許せない。こっちは非常事態なのよ、気を使ってよ。
本当にそうですよね。
鍵を握るのは「受容」という言葉です。状況を受容する時間が必要です。どうしてこうなったか?から始まり、今の現実を受け止めるまでの心理的な変化が必要です。ボクらも彼女の焦燥を受容するしかありません。どんなにわがままでもどんなに攻撃的でも、そんな彼女を受容するのです。
彼女の人生の中ではボクらはほんの脇役であり、ベッドサイドに置かれた水仙の花ぐらいの存在です。水仙の花として話しかけましょう。
リハビリテーションとは直訳すると「再び適応する」です。適応できる環境をひたすら作っていくのが専門職の隠れた仕事です。