ボクの定年

還暦オーバー!今日もチャレンジ!

仮面。  ショートショート(小説)

最初は、単純に風邪の予防だった。

至って平凡な白いマスクは、インフルエンザの季節だけ、男女問わずに着用していたように記憶する。

違和感を感じ始めたのは、インフルエンザの流行が終わって、春が来て、まだ、マスクを着け続けるようになったのだ。花粉症である。

これによって、11月の後半から5月下旬まで、ざっと半年間、マスクを必要とすることになった。

 

男女差が出てきた。

どうも女性のほうがマスク率が高い。

表情が見えにくくなった。逆に口をへの字に結んでいても、マスクの上からはわからない。

視線を防御できるみたいだ。少なくとも彼女らには、そのような使用目的もあるようにみえる。

ほとんどマスクを取ることはない。化粧も少なくてすむ。

 

着用する人間の変化だけでなく、マスクほうも少しずつ変わってきた。

立体構造だ。

初めは顔の形に合わせる事で、顔表面とマスクの隙間を減らそうと努力した。

そのうち美しい成形を目指し始める。

マスクを着用する事で、整った顔面が手に入った。

ほりが深く見える。

鼻が高くみえる。

世の女性たちは、競ってこの美顔マスクを買い求めた。

 

菌や花粉から逃れるため、表情を隠すため、化粧を手抜きできるなどの理由で利用していた、いわば日用生活用品が、自らを飾る美しいヴェールとなったのだ。

 

こうなると歯止めは効かない。

マスクを売る側も買う側も、本来のインフルエンザ予防など眼中にない。

もっと美しく、もっと自然に、もっと高品質なものを求めた。

ニーズは一致した。

 

やがて画期的な商品が誕生する事になる。

顔の皮膚にぴったり貼り付ける事ができる、もう、耳にかけるゴムひもがないマスクの登場である。

もちろんぴったり貼り付けるが、鼻の高さはかさ上げされている。あごの形も現実のそれよりシャープになるように成形されている。ホウレイ線は全く見えない。うっすらと口の形があるようなないような。

 

ほとんどの人に対応できるように伸縮ができ、いくつかの自然な色やサイズも用意されている。

これはもうマスクではないだろう。顔面ラッピングというべきか?

オリジナルのパーツは目と耳。それすらカラーコンタクトやまつ毛のエクステンションでイメージを拡張する事ができる。

 

この顔面ラッピングは世界中で大流行した。

そして半年だった使用期間はもちろん一年中、ほぼ毎日装着するようになった。

自然な流れである。

世界中どこへ行っても同じ鼻と口で表情に乏しい女性であふれた。だが、それはすぐに当たり前の情景になる。

アラブの女性が過去にそうであったように。

 

さらに、この流行は男性にも飛び火した。少数のインフルエンサーが興味本位で使用し始めたのをきっかけに、あっという間に、水が高いところから低いところに流れるように、普及した。世の中からブ男が消滅した。なんか寂しかった。

 

話はそこで終わらなかった。

 

目やおでこもラッピングするオプションパーツが売れ出した。

美への欲求はそれほど大きいのだろう。

こうなるともう、顔全部を覆う事になる。

シミやそばかすに悩む人は居なくなった。

しかし顔の皮膚は完全に見えなくなり、顔面ラッピングは遂にシリコーン製のいわゆる「仮面」に変わった。

 

変化が段階的に少しづつ起こったからか、人々はそれを受け入れ、多種多様な仮面はファッションの重要アイテムとして市民権を得ていった。

 

そして、2035年

 

街で知り合いにあってもARメガネを使わないと、誰が誰だかわからない。

アナログな顔認証方法はは消え去り、人間はIDとパスワードによって認証される世界になった。