ボクの定年

還暦オーバー!今日もチャレンジ!

セミリタイア~ある日の友人との会話

中学校の同級生とゴルフをしました。二人ゴルフです。

自営業を営む彼は、まだまだ気力も体力も十分な元気ジジィです。

ゴルフの腕はと言うと、スコア100程度のボクとあまり変わらないへっぽこです。

二人でコースを回る時はいろんな話をします。

気を許すことができる友人とのゴルフはそんな楽しみもあるんです。

先日のゴルフでは、老後の過ごし方やお金の話題が多くなっているかな。

ボクが「65歳からは月30万円もあれば十分だよね」と話すと

彼は「いやいや今の生活のレベルを落としたくない」と返されました。

すこし驚きましたが、彼が言うには「仕事を続けて少しづつ稼ぎが減るのはしかたないけど、積極的に収入を減らすのは馬鹿げている」とのこと。

なるほど。例えば薬剤師などの資格を持っていれば、勤務日数を減らしてもある程度の収入になる。だから可能な限り仕事を続けたいと考えるのが普通の考え方かもしれない。

ボクが「ボロボロにくたびれるまで働かないで質素に遊ぶ方が楽しいじゃん」と言うと

「質素な食生活なんてイヤ!旅行とかも行きたいし」と話す。

まだ、バイタリティが有り余る彼としては、61歳はガンガン稼いでガンガン使うステージなのでしょう。

同じ61歳でも、ボクなんかは1日も早く仕事のストレスから解放されたいと思っているから意見が合わない。

そもそも同じ年齢だからと言って同じ生活ステージではないよな。それぞれ環境も考え方も違って当たり前。同級生だからと言って同調や共感を求めたボクがまちがっていた。

ボクはボクなりにセミリタイア生活を楽しめればいいだろう。

友達を巻き込んじゃダメだ。

 

セミリタイアと社会課題

少子高齢化は予想通りの進捗を見せています。

日本の人口は減少の一途です。

加えて、高齢者率は28.7%と過去最高になっています。(2020年)

このことは、日本の衰退は待ったなしという事を意味しています。

すでに国力の減退は始まっており、多くの指標で発展途上国よりも低位です。

このまま国は廃れていくのか?子や孫に相対的貧困を押し付けることになるのか?はたまたV字回復はあるのか?

セミリタイアラーがその鍵の一つを握っているのかも知れません。

70歳またはそれを越えて就業することになったら、国の生産力は若干ではありますが向上します。しかし、年老いてまで働かされるのはまっぴらだと言う人のほうが多いでしょう。ボクもそのうちの一人です。セミリタイアラーです。

働かないで生産する。働かないで国を豊かにする。そんなことできる筈がない。

可能性はあります。

投資です。単純な金融投資ではありません。事業に投資するのです。若い優秀な事業家に資金援助するのです。間違っても「自分の」利益を求めてはいけません。若者に利益を渡すことで、国益に繋がるのです。ジジィが儲けたってあまり意味がありません。

具体的には近所のラーメン屋とか花屋とかwebデザイナーとかです。せいぜい100万円くらいの出資しかできないのですから、ちいさな事業に限定すべきです。そして大きく成長する事業かどうかを判断する能力が必要です。その目利きはジジィには有利だと思いたいです。

ジジィの利益はたまにラーメンを食べに行ったとき、無料で一杯食べられるくらいにしときましょう。でも、お金に変えられない満足感はあるはずです。

誰かに与えてもらうより誰かに与えて、それが社会の課題解消に繋がるのであればジジィの本望でしょう。

あっ別にジジィ限定でなくとも、ババァでも構いません。

セミリタイアのリスク管理

ひとり旅を切望するセミリタイアマンですが、計画は蜃気楼のように現実化できません。ついこの間まではワクチンを打てば旅立てると考えていたのですが、変異種のせいでまたまた遠のきそうです。春なのに冷たい鉄格子のなかに閉じ込められているようです。

なにか行動を起こす時は、その事で起きるかも知れない都合の悪い事をあらかじめ考えます。法的に大丈夫か?身に危険が及ばないか?だれかに迷惑がかからないか?ほんの一瞬ですが判断をしているはずです。その延長がリスク管理だとボクは考えています。

ただ、いつもと同じ行動であれば、いちいち判断することは少なくなってきます。通勤のために車を運転するリスクは一定なのに「今日は運転すべきか?」とは考えません。いつもと違う行動を起こす時にリスクのことを考えるのです。

セミリタイアすると自分で生活をデザインすることになります。毎日が同じ行動でも良いし、変化にとんだ生活も望むことができます。当然、リスクの管理の量も大きく違ってくるでしょう。新しい事をやろうと思えば、何らかを得られる可能性も失う可能性も増えるはずです。逆にいつも通りの行動であれば、得られる物も失うものも最小限でしょう。決めるのは自分自身です。

どちらかと言うと頭が悪い部類にはいるボクは、歴史に学ぶより経験に学ぶ方がしっくりします。納得ができます。だからリスクを抱えても行動したいタイプです。それにリスクと言っても、今のボクにはもうどうしても避けなければならないリスクはあまりありません。最悪、いつ死んでも問題はありません。家族は自立し、社会的に果たさなければならない役割もありません。他者に迷惑をかけないだけがリスク管理です。

 

桜の舞う田舎道を気の向くままにバイクを走らせる光景を頭の中で夢想しています。まだ、旅立つことはできません。

セミリタイア→ひとりを楽しむ方法

昔、大学生だった頃、油絵に没頭した。

ひとりでキャンバスに向かい、自分の内なる感情にむきあっていた。

ただ「綺麗」だとか「苦しい」とかほとんど生産性がない作業を黙々と続けていた。

本当にバカみたいでどうでもいいような「俺を見てくれ」「可哀想なわたし」を具現化する意味はないかも知れない。

だけど、絵をかくときには感情が動く。

自分の感情の動きを楽しむことができる。

 

セミリタイアすると、少しずつ一人の時間が増える。

会社に行かなくなる。お客さんと話をしなくて済む。部下への指導も無くなる。

趣味とか健康作りとか好きなことをして過ごす時間が増える。

遊び相手は自分自身。主観と客観を行き来して何かを見つけようとする。

たとえばウォーキング。まったく考え事をしないで歩く事はできない。

自然と自分に語りかける。自宅に戻った時には、ちょっとだけ歩く前と変化していることに気付くはずだ。

たとえばひとり旅。頼りない老いぼれた肉体を、広い世界の中にぽつんと置く。

自分の存在がとても小さいけど、かけがえのないものだと自覚する。

たとえばひとりゴルフ。ミスをした自分を反省して、それを許す。そして次打に希望をを託す。繰り返しながら、自己肯定感を固めていく。

 

もしかすると、それはカルチャーに昇華するかもしれない。

 

セミリタイアへの道~後継者が絞られる

懸案だった後継者問題が前に進んだ。

臨時の経営ミーティング(3人)が終わった流れの雑談の中で、またしてもカマをかけた。

「あと3年、責任を引き受ける覚悟は決まったかな?」

候補のうちのひとりが消極的に発言した。

「新たな候補を考えてもいいのではないか?」

これで、ボクの心は決まった。

経営は覚悟なしでは務まらない。

リスクを取るのは必然なのだ。

間髪をいれずにもう一人の候補者に聞いた。

「覚悟はある?」

「やったことがないので自信はありませんが、やりたいです」

「宜しくお願いします」

ボクは静かに言った。

数日がたったあと、当たり前だけど二人のモチベーションに大きな差が出た。

これからしばらくは、現事象をゆっくり消化する時間となるだろう。

ボクの気分としては、とてもスッキリしている。

キラキラ介護とリアリティ介護

ネット上の介護界隈でのみ使われている「キラキラ介護」

まだ検索をかけても出てこないと思います。

パッと見た目とは逆に、良い意味で使われることはあまりありません。

理想ばかりを追って現実を見ないお花畑な思想をもとに介護業務を実践しようとしている人たちを貶める言葉です。

かたやリアリティ介護とはボクが勝手に設定したキラキラ介護と対極の言葉です。

SNSでは毎日のようにキラキラ介護がdisられている様子を見ることができます。

たしかに超多忙な介護現場においては、寄り添うとかアットホームとか「うっせぇわ」と言いたくなるのもわかります。セクハラや暴力をふるう利用者などに寄り添うとかありえないですよね。介護の世界でも世間の常識をもとに、サービスとその対価を冷静に均衡させるのは悪いことではありません。

だけど、ボクはキラキラの立場なんです。

まだ、デイサービスを開設して間もない頃は10人の利用者さんに3~4人のスタッフでした。効率など全く考えていない適当な介護でした。でもそれが楽しかった。気分次第で散歩したり工作したり、いつも笑い声が聞こえていました。

リアリティ介護は考え方がスッキリしています。やるべき作業を淡々と実行する。

作業に見合うだけの報酬をもらい、勤務時間が過ぎると不可侵のプライベートになります。

高齢化が加速するこれからの介護は夢のような事を考えずに、必要な事だけを行うしかなくなってくるのかも知れません。介護職はまったく足りなくなるのですから。

厚労省も来年度から本格的に科学的介護推進体制を整えようとしています。

全国の介護施設からビックデータを集めて根拠に基づいた介護を推し進めるのです。

 

介護やリハビリテーションは効率化されます。リアリティ介護はより作業化するでしょう。介護職としての経験や優しさの必要性は著しく棄損されます。人間でなくても良くなるかも知れません。もちろんキラキラ介護は(少なくとも介護保険サービスでは)幻のように消え去るのです。

 

セミリタイア 妻とゴルフ

妻にゴルフセットを買いました。というか無理やり誘っています。

ボクの目論見は①自分自身のゴルフの機会がふえる②運動することで妻の健康を守りたい、です。

今年こそは80台のスコアを出したいし、そのためにはとにかく多くゴルフ場で経験することです。今年は36回以上プレイしようと思います。

妻は、学生時代はバレーボールの選手だったという事ですが、いまはバレーボールのような体形になっています。血糖値も髙くなっていて、明らかに運動不足です。彼女が楽しく運動するのにゴルフはかなり向いていると思います。

というのが表向きです。

裏の目的は、経済的理由です。妻が生活習慣病で重症化した時の経済的損失をシミュレーションしたとき、週に1度のゴルフ代の費用対効果がとても高い事が判明しました。実にブラックですね(笑)

自分がピンピンコロリを目指すのは清涼感さえ感じるのに、妻とはいえ自分以外にそれを求めるのはとてもドス黒い闇を感じます。元気でいてほしいだけですけど、そこにお金の匂いがしたら一瞬で人でなしです。

で、3回ほど二人で回りました(9ホール×3)。初心者のうちはまっすぐ飛ばないから、あっちに走りこっちに走ったりで、結構なカロリーを消費したと思います。ゴルフが嫌いにならない程度にまた誘おうと思っています。今月はゴルフ用のかわいい帽子でもプレゼントしよう!(もう、どう書いてもブラックに感じるw)

ところで、妻はネット銀行と投資(NISA)にも興味を持ちはじめました。とても優しく口座開設のお手伝いをさせていただきました。

二人でたのしいセミリタ生活をおくりたいと思います。

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