ボクの定年

還暦オーバー!今日もチャレンジ!

社員との付き合い方がわからない<社長引退までの1500日>

ボクは宗教を信じない。宗教はすでに人々に幻想を抱かせる能力を失っているからだ。

「サピエンス全史」のヴァル・ノア・ハラリ氏は、認知革命が集団で共有する虚構を創ることを可能にした。そのことで多くの知らない人間同士が共通の幻想(お金や宗教)を信じてうまく協力することができるようになったと書いている。しかし、IT革命が起きている現代では虚構はすぐに見破られ、一つの価値観を浸透させることはムリゲーに近い。

会社組織もどこか宗教に似ているところがある。社是などという使命ややりがい等という形がない価値観ををモチベーションに変化させ、一体になって目標に向かう。こう書くだけでそれがほぼ虚構であることがわかるであろう。会社は滅亡に向っている。

ボクが宗教を信じないという事は自分の会社の在り方にも疑問を持っているという事になる。介護事業はご存じのとおり超労働集約的事業である。人がいないと成り立たない。実際、法律で人員基準が定められていてデイサービスは売り上げに対する人件費率が65%ほどになる。訪問事業では70%をゆうに超える。人をいかに動かすかが事業成功の大きな要素であるのは間違いない。そしてそのためには前述の幻想が必要なわけである。だからモチベーションが高い会社とそうでない会社とでは内容に雲泥の差がつくことになる。経営者は「地域社会に貢献している」「これから新しい介護の形を想像していく」「高齢者の笑顔を支えるのは自分達だ」と介護事業の必要性と意義を、社員に向けて発信している。しかし、一定数の社員は「労働力をお金に換えているだけ」「会社の発展に貢献するつもりは1mmもない」と思っている。会社が利益を増やさないと社員の数や給料も上がらないという事を時間をかけて説明しようものなら、「洗脳教育」と断じられてしまう。経営者が悪いのではない。時代が動いているだけなのだ。

ハラスメントが怖い。受ける側ではなくて加害者になってしまう事が怖い。職員が退社するときは頭を下げて労動に感謝するようにしている。それでも何時、加害者に仕立てられるか分からない。法律で決まっていることは法律を守りさえすれば逆に法律は自分を守ってくれる。しかしハラスメントは心の問題だから明文化された「やっちゃいけない事」は存在しない。いわばノーガード状態だ。時々、ボクもお金のためだけに経営しているのだと考えたくなるのを無理やり抑え込んでいる。

 

ボクはボクが必要なくなるように努力して、そろそろ要らなくなりそうなので、結果、邪魔者扱いされている。

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死に向かい合う

ボクは孤独死は怖くない、というか孤独死なんて当たり前だと思う。少子高齢化はもうほとんど避けられないし独居高齢者は増える一方だ。医療体制がこれら独居高齢者の安否確認と医療的手当を出来るわけもなく、どう考えても一人で死ぬ人は増え続けます。孤独死は当たり前の光景になるのだ。

自分の事としての死だけは考えない。考えたくないのは分からないでもないですが、現実を見ることも大事ではないか。人間である以上致死率100%なのだから。

孤独な死には何故かネガティブなイメージがついて回るが、ボクは孤独死の何がネガティブなのだろうかと思う。周りに家族がいれば幸せなのだろうか?死んでしまう間際に幸せもないだろう。もう周りに誰がいようが余裕ゼロでいっぱいいっぱいなんじゃないの?だってもうすぐ死ぬんだから。

 

作家の佐藤愛子さんは『人生は美しいことだけ覚えていればいい』と書いた。

ボクは『人生は美しいとだけ覚えていればいい』と思っている。

ああ楽しかったな、やっぱり人生は有意義だったなと思って死ねたら最高だ。それが孤独死だろうが病院での最期だろうが大きな問題ではない。自分の人生を肯定出来れば、それ以上何を望むのか。

死ぬのが真夏だったら死体発見までにそうとう腐敗は進んでいると思う。その時は申し訳ないけど薬品かなんかぶっかけてなるべく処理しやすいようにしてください。多少乱暴に扱っても、もうボクはそこに居ないから気にしないでいいです。でも、あと5年もすると生体センサーを部屋に設置するようになるだろうと思う。死んだらなる早でお知らせできるように努力します。

 

60歳になると脳細胞も随分損傷して、生への執着とか死への恐怖の感覚が鈍ってくるのかな?自分から死に向かうことはないけど、あっちからやって来たら『面白かった人生をありがとう』と感謝をしたい。

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書評 <定年後のリアル>

このブログではアクセスを集めるのはもう無理だなと思い始めています。それじゃあ別にサイトでも作るかと思ってテーマ候補の『定年後』について書かれている本を数冊購入しました。その中で面白かった(新たな視点を与えてくれて勉強になった)のが、この本です。

失礼ながら著者の勢古浩爾さんを存じ上げていなかった。「まれに見るバカ」というベストセラーがあるそうです。バカの代表としておそるおそる読書感想を書くことをお許し頂きたい。

 

勢古さんが61歳くらいの時にこの本を書かれたようです。まあ定年直後と言ってもいいのではないでしょうか。読み出した頃は文章にエネルギーを感じました。文脈とは正反対なのですが、おめえの考え方を改めてやるよとでも言われているかのような気分になりました。主張する考えを押し付けるのではなく、その逆で、正解なんてないんだよ。それを血眼になって探している風態はバカ丸出しだなwよくあるニヒリズムかとも思いました。それに、あと4年のうちに月5万円を稼げるようになろうと思ってジタバタしている自分がなんとなく惨めになって来ます。ヤな本買ってしまったなと思いましたがニヒリストの老後にもまた興味が出てきて、結局一気に読みあげました。そして終盤に差し掛かった時にようやく勢古さんの伝えたかったことが分かってきたのです。けっして虚無主義ではなくこれは勢古さんの優しさと愛に満ちた文章なのだと。何も出来なくても、何も持っていなくても1日1日を好きなように生きればいいさと囁いてくれる。同年輩の仲間に送る暖かいメッセージなのだと確信しました。しかし彼は最後まで、こんな本には大した意味はないよと書き終えています。なかなか良い感じのオッチャンかも知れませんね。

 

あと気になったのは、勤めておられた洋書輸入会社とはどんな会社だったのかなぁということです。

もう一冊ほど勢古浩爾さんの著作を読んでみようと思います。

amzn.to

 

Rakuten miniが届かない

申し込みを済ませた楽天mobileの端末Rakuten miniは今のところ配達される気配はありません。申し込み時に「お届けは6月10日になります」という表示は幻だったのか?「6月31日までにアクティベーションして頂く必要があります」というのも幻であって欲しい。まぁね、楽天の全部が幻でも特に困らないのだけど。

 

ところでそのRakuten miniが電波法違反の疑いだそうです。

https://newswitch.jp/p/20325

一体どうなるのでしょう?それはそれでドキドキして楽しいかな

アクティベーション出来ますかね?

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オーナーとして引退するメリット <妻への説得材料>

小規模なデイサービス等の介護保険サービス事業者でも、保険適用するには法人格を持たないといけません。個人事業ではなく株式会社とか合同会社とか福祉法人とかですね。だからどんなに小さなデイサービスでも会社(法人)なのです。このマイクロ法人のオーナーとして現場引退ができるメリットは結構たくさんあります。妻には是非とも納得していただいて、晴れて(セミ)リタイア生活に突入したいと切望します。

1、時間が自由

特に朝の時間が自由になるのは嬉しいことです。数年前から身体のメンテナンスが必要だと感じているのですが、一般的には「なに甘えてんの?」と一蹴されるのがオチです。だけど筋力の維持回復や集中力の向上さらに食生活の改善など今やらないといけない事が、理学療法士としても実感しています。コロナ自粛で旅行などには使えませんが、そんなことより健やかな心身を取り戻すのが喫緊の課題でもあるのです。

2、一定の収入 

夫婦の年収(役員報酬)は下げる計画を立てていますが、仮に二人合わせて500万円(42万円弱/月)にしたとしても働かないで生活費が手に入ると考えればありがたいです。逆にM&Aで法人売却したとしたら、まとまったお金は手に入りますが、40~45%を税金に取られ生活費に年間400万円×5年=2000万円が必要となり、その後年金のみで暮らさないといけなくなります。少なくても一定収入は大きなメリットです。

3、税制上の恩恵

代表取締役が事業を運営するために経費を使うことは当然ながら認められています。例えば自宅からテレワークするためにボクの書斎を使用した場合、賃貸料をボクが会社に請求できます。会社運営のためであればパソコンもスマホWifi環境も経費になります。知見を広めるための視察旅行もまったく観光しなければ経費ですし、観光したのならばその分の経費を差し引いた額を経費にできます。そして売上から経費を引いた額に税金がかかるのです。年収300万円でも法人オーナーだったら何とかなります。というかそんな社長さんは結構おおいです。 

4、労働から解放 

毎日同じような事を決められた規律の中で他と強調しながら働くことをもう35年間以上続けてきました。そんな生活に飽きたとしても、それは自然なことだと思います。働くこと自体は今後も続けようと思いますが、趣味なのか労働なのか分からない不真面目な働き方改革をしたいと願います。 

5、社会的信用の維持

現場を引退しても会社役員であることには変わりません。法令違反など対外的に信用を落とす行為さえしなければ良いのです。もしかすると現場から離れることでハラスメントの加害者になるリスクを無くすことができるのではないでしょうか?

6、精神的ストレスの軽減 

ボクとしたらこれが最大のメリットです。社長は孤独な存在という事も分かっています。そして真面目に考えれば考えるほど精神的ストレスは大きくなるものと理解していますが、もうピークに達しています。現場から逃げ出したとしてもストレスがゼロにはなりません。新たにもっと大きなストレスに襲われるかもしれません。そうだとしてもそろそろ目の前の景色を変える時期にきていると思います。最終的には自己責任と考える方がすっきりします。

 

ちなみにデメリットは倒産の可能性があることです。すべてパーになるんだなぁw

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(セミ)リタイアメント 早まる

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「会社とわたし、どっちが大事なの?」

お気楽世代では聞きなれたフレーズです。どちらか一つだけを選択させるなんてとんでもないモラハラですよね。ボクが若かったらどちらも選ばないという選択をするかもです。でも、もう若くないのです、ご容赦を頂きとうございます。※※※※※※※※※※※

妻の出勤停止ではなく体調不良によるお休みは3日目になりました。今日の夕方、給与計算のために数時間勤務しますが、明日までは休むと思います。そしていよいよ今後の事についての話し合いをすることになるでしょう。

 

comoshin.hateblo.jp

似たようなことを書いています。 昨日のブログテーマは、生涯かけて取り組む課題なのでしょうね。他人が数十年も一緒に暮らしていくのですから、意見が合わないことがあるのは当たり前です。皆さんもそうだと思いますが、ちゃんと話をしながら折り合いを付けながら生きて行くことにします。※※※※※※※※※※

いっそのこと二人してリタイアしちゃおう!とボクは考えています。それは単純に考えると仕事もせずに一定の収入を得ることができる夢のような状態。経済的な余裕はないけど穏やかな日常。手放すのは少しばかりの収入と組織の権限。ボクはそれで問題ないです。だけど妻は自分のアイデンティティの低下を心配しているみたいです。会社を運営する醍醐味に生きている実感があるのかもしれません。その楽しみをボクが奪うのは少し申し訳なく感じます。だって、ボクの独断で会社を作り、妻を引きずり込み、思い切り仕事させて、挙句の果てに引導を渡すのですから。※※※※

 きっかけは妻の人間関係の至らなさ、でも一生けんめい勤めてくれた妻に敬意は示さないとダメだろうと思います。その方法を考え中です。※※※※※※※※

そしてボクは(セミ)リタイアメントの絶好のチャンスを積極的に掴もうとしています。

 

妻との付き合い方がわからない <27年目>

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妻とは結婚して26年になります。ここまでおおきな問題もなく仲良く生活できたかなと思います。いつも明るく家事もしっかりやってくれる妻ですが、もちろん欠点もあります。それは人間関係が雑なところです

誰とでもすぐに仲良くなるのですが、時々とんでもない対応をして人間関係を壊しています。そしてそのことに対する反省があるのかないのか良くわからなくなるほど繰り返すのです

妻はボクのデイサービスではいわゆるお局様状態です。担当は経理なのですがいろんな処に口出しします。デイサービスの発展をを思っての事ですが、ほとんどのスタッフに煙たがられています。その事を気付いているのかいないのか、もし気付いていないのなら教えてあげるべきかどうか?これもボクにはわかりません

60歳を過ぎると夫婦の関係は戦友などと例えられることが多いのですが、お互いの間に鉄の規律なんてあるはずもなく、戦友とは呼べません。ただ、いろんな課題を一緒に解決しながら過ごしてきて、お互いを尊重する意味ではスポーツのダブルスパートナーと例えることはできます。お互い叱咤激励しながら目標(家族の幸せ)に向っています

年齢を重ねて自分を叱ってくれる人が少なくなると「自分は間違っていないし、正義の意見だ」と妙な自信が生まれてきます。世間でSNSが同じような問題で話題になっていますが、リアルな場面でも問題になります。まさに彼女は間違っていないのです。ただ、話し方や表現方法が良くないのです。その言葉を受けとる側は全人格を否定されたかのような気持ちになるのです。ボクの説明がヘタなせいもありますが、その事を理解して欲しいのですがどこまでわかっているのか疑問です

おとといも「利用者への話し方が良くない。直さないといけないし、直せないなら自宅勤務をしてもらうことになる」となるべく冷静に妻に伝えました。昨日と今日、妻は休んでいます。ほぼ自宅謹慎命令になりました

 

実は以前にも書き込んでいるのですが、ボクは段階的に現場か離れようとしています。それに妻が加わると、事実上の事業継承になります。この際だから部下に任せてみようと考えています。妻と一緒に引退です。悠々自適なスモールライフを構築しようと思います

時にはケンカもするし、至らないところを指摘されたり指摘したり。初老のヘッポコ夫婦ですが、まだまだ先は長いです

最終的には二人で楽しく生きて行くのが幸せなのです